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日本館(にっぽんかん、1883年10月 - 1990年前後 閉鎖)は、かつて存在した日本の劇場、映画館である〔年鑑, p.330.〕。「浅草オペラ」(1917年 - 1923年)の時代に、浅草公園六区で初めてのオペラ常設館となり、根岸興行部の「金龍館」との競争を闘った。 == 略歴・概要 == === 都をどりからオペラへ === 1883年(明治16年)10月、東京市浅草区公園六区二号地(現在の東京都台東区浅草2丁目5番)に開業した。六区の通りに面した東側に位置し、ひょうたん池に北側で接していた。開業当初は、娘都踊り(都をどり)で知られた。 1909年(明治42年)5月、六区四号地南側の新畑町(現在の浅草1丁目24番)に移転・開業、跡地は映画館「オペラ館」となり、M・パテー商会(のちの日活の前身の一社)の製作する映画を上映した。 「日本館」では、1917年(大正6年)、大阪の山川興行部や東京の小林商会の製作した映画を上映するが、両社の作品供給は続かず、同年10月23日、東京蓄音器(現在の日本コロムビア)の佐々紅華が、石井漠、杉寛、沢モリノらと結成したオペラ劇団「東京歌劇座」が旗揚げ公演を行なった。以降、オペラの常設館となる。同劇団には、小杉義男、清水金太郎・清水静子夫妻、澤田柳吉が加わり、翌1918年(大正7年)3月末まで公演した。同年4月以降は、戸山英二郎(のちの藤原義江)の在籍した「アサヒ歌劇団」が公演した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本館」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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