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日根 対山(ひね たいざん、文化10年(1813年) - 明治2年3月13日(1869年4月24日))は、幕末の文人画家。 日根野とも呼ばれる。名を盛長、字を成言・小年、対山のほかに茅海・錦林子・同楽園・雲煙楼・酔墨庵などと号した。和泉国日根郡(現在の大阪府泉佐野市)に生まれる。 == 略歴 == 日根又衛門の3男として生まれる。幼い頃より絵を好み、はじめ土佐派の桃田栄雲に学び、大坂に出た後岡田半江に就いて南画を学んだ。泉佐野の豪商里井浮丘とは幼なじみで、浮丘の庇護を受け中国絵画の臨模などで画業を磨いた。 28歳で京都に遊び、経学と書を貫名菘翁に師事した。京都移住後は勤王家の梁川星巌・頼三樹三郎・藤本鉄石・中西耕石らと親交を結ぶ。円山派の影響を強く受け、南画家鉄翁祖門に私淑した。主に山水画を得意とする。酒を好み、豪放な性格を反映してか、極めて洒脱で大らかな気分に満ちた作品が多い。門弟に野口小蘋〔野口小蘋は女流南画家で、甲府商家野口正章の妻。野口家と親しい甲府商家の大木家は近世・明治期の当主が文人画家を招聘し作品を蒐集している(大木コレクション)。対山の門人には野口小蘋のほか三枝雲岱や中丸精十郎など山梨県出身者が多く、これらの甲州画家との縁は野口家や三枝・中丸の師である甲府の文人画家竹邨三陽を通じて生じたものであると考えられており、大木コレクションにはこれらの画家の作品群が含まれている。〕・猪瀬東寧・奥蘭田・跡見花蹊・中丸金峯らがいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日根対山」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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