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日比 翁助(ひび おうすけ、1860年8月12日(万延元年6月26日) - 1931年(昭和6年)2月22日)は、明治時代から昭和前期にかけての経営者。三越百貨店を創業し三越の経営改革を進め、日本初の百貨店をつくった人物。号は美勲。 娘のシゲノは陸軍大将・緒方勝一の妻。 == 経歴 == 幕末の1860年(万延元年)に筑後国久留米藩士・竹井安太郎(馬廻格・高良山別荘臨番)の次男として生まれる。海軍軍人になることを志し、竹崎氏に漢学を、剣術を藩主指南役・津田氏に、南画を同藩の狩野氏に学んだ。1879年(明治12年)日比家の養嗣子になった事で転向する。 剣も相当の腕だったが、久留米藩御納戸役時代に福沢論吉の著作を読んで傾倒し、上京して1884年(明治17年)、慶應義塾を卒業。初め海軍天文台に勤め、外国資本のモリスン商会などを経て、1896年(明治29年) 三井銀行に入社した。1898年(明治31年)、中上川彦次郎の依頼で三井呉服店に入り、高橋義雄と共に改革を進めた。 1904年(明治37年)、株式会社三越呉服店が設立され、益田孝が代表発起人、日比が専務取締役に就任。このときに「デパートメントストア宣言」を行った。巌谷小波、新渡戸稲造、黒田清輝、森鴎外など著名文化人による流行研究会「流行会」を組織。 1906年(明治39年)、欧米を視察し、ロンドンのハロッズ百貨店の経営に深い感銘を受けた。 1913年(大正2年)に会長に就任。翌1914年(大正3年)、三越はルネッサンス様式の新店舗を建設した。「今日は帝劇、明日は三越」というキャッチフレーズもこの頃に作られたものである。 1918年(大正7年)に取締役を退任した。 1931年(昭和6年)、患っていた神経衰弱との闘病の末、息を引き取る。享年72。墓所は渋谷区広尾瑞泉寺祥雲寺。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日比翁助」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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