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日清協約(にっしんきょうやく)とは、日本と中国を支配していた清朝との間で締結された条約で、通例では1909年9月4日に締結された「満州及び間島に関する日清協約」、別名「間島協約」を指す。この協約は、1910年の日本による韓国併合に先立って、清と大韓帝国(韓国)との国境を画定させる意味を持った。 == 概要 == 日露戦争に勝利した日本は満州の旧ロシア権益の掌握と韓国の併合を目指していたが、いずれも満州を統治する清朝からの強い警戒感を持たれた。特に間島と呼ばれる地域-南満州-は清朝と韓国の国境線が確定していなかった地域であり、昔から多くの朝鮮人が居住していた。日本側は間島を韓国領の一部として韓国本体とともに併合を図り、これに対して同地域を自国領とする清朝は激しく反発していた(間島問題)。 日本は1907年以来一連の問題解決を目指して清との交渉を進めていたが、双方の合意は実現しなかった。このため、日本は満州問題の解決を優先として、間島については大幅な譲歩をせざるを得ないと判断し、1909年に満州に関する項目と間島に関する項目からなる2つの日清協約を結ぶこととした。 なお、韓国はすでに第二次日韓協約によって外交権を事実上剥奪されており、協約に抗議することもかなわなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日清協約」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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