翻訳と辞書
Words near each other
・ 日立デジタル平凡社
・ 日立ドキュメンタリー すばらしい世界旅行
・ 日立ドキュメントソリューションズ
・ 日立ドライバーズスクール
・ 日立ニコトランスミッション
・ 日立ハイテク クーガーズ
・ 日立ハイテクスクァレルズ
・ 日立ハイテクノロジーズ
・ 日立ハイテクノロジーズ・スクァレルズ
・ 日立ハウステック
日立ハローサタデー
・ 日立バイパス
・ 日立バッテリー販売サービス
・ 日立バルブ
・ 日立パワーソリューションズ
・ 日立ビアエンジニアリング
・ 日立ビアメカニクス
・ 日立ビデオエンジニアリング
・ 日立ビルシステム
・ 日立ビルシステムサッカー部


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

日立ハローサタデー : ミニ英和和英辞書
日立ハローサタデー[ひたちはろーさたでー]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [にち, ひ]
  1. (n-adv,n-t) sun 2. sunshine 3. day 
日立 : [ひたち]
 【名詞】 1. Hitachi (company) 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

日立ハローサタデー : ウィキペディア日本語版
日立ハローサタデー[ひたちはろーさたでー]

日立ハローサタデー(ひたちはろーさたでー)は1970年代1990年代文化放送で毎週土曜17:00〜18:00に放送したラジオ番組
== 概要 ==
1977年10月1日から1991年10月5日まで、14年間放送。日立製作所一社提供番組で、当初は『Lo-D YOUNG SOUND』がサブタイトルに付いていた。番組後期は『日立ハローサタデー・マジカルチャンネル』がサブタイトルとなった。
当初から、東京銀座の日立ローディープラザからの公開生放送で、歌手アイドルなどのゲストによるミニコンサートとトークを生中継していた。1981年当時は、小林まさひろの中継コーナー『小林くんの外回りコーナー』が存在し、1986年当時(『チャゲ&優子のミュージックプラザ』時代)は、番組前半はトークとはがき紹介・ヒット曲紹介の録音パート、後半はローディープラザから大久保良太の司会による生放送の“半録半生”の構成だった〔月刊ラジオパラダイス 1986年11月号「石川優子インタビュー」より。〕。また、『小堺一機のヤングプラザ』時代には『今週の名セリフ』〔当時の各新聞縮刷版ラジオ欄より。〕、『カズキダス』(小堺が独断と偏見で解説するコーナー)、『オープン留守番電話』(リスナーの留守電メッセージを紹介)などのコーナーがあった〔月刊ラジオパラダイス 1988年10月号「ラジパラタイムス」(68ページ)より。〕。中継コーナーでは当時小堺と同じ事務所に所属していた堀敏彦(現:テレビ新潟アナウンサー)が担当したが、仕事の都合で代役を務めた回もあった。
また、当番組の主な企画には『作詞大賞』〔、『マジカル劇団オーディション』(第一期生オーディション開催は1989年6月)〔月刊ラジオパラダイス 1989年7月号「ラジパラタイムス」より。〕などがあった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「日立ハローサタデー」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.