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日興證券ドリームレディース(にっこうしょうけんドリームレディース)は、かつて日本女子サッカーリーグ(L・リーグ)に所属していたチーム。千葉県八千代市を拠点として活動していたが、1998年のシーズン中に撤退を発表。翌1999年の皇后杯全日本女子サッカー選手権大会を最後に廃部となった。 == 歴史 == 1990年に日興證券株式会社の、「社内に明るさと活気を歓喜するための福利厚生施作」(日興ドリーム)の一環として当時の代表取締役の呼びかけにより発足。それまでL・リーグに在籍していたチームはスポンサー名を名乗る「クラブチーム」だったのに対し、リーグ初の「企業チーム」として誕生した。 日本女子代表初代監督であった鈴木良平を監督に迎え、1991年3月に行われた第12回全日本女子サッカー選手権大会では初出場初優勝を経験した。 その年の6月には旭国際バニーズ、松下電器LSC、フジタ天台SCマーキュリーとともに日本女子サッカーリーグ(JLSL:のちL・リーグ)に参加。4位の成績を修め、その後も常に上位を維持。鈴与清水FCラブリーレディース、読売ベレーザ、プリマハムFCくノ一とともにリーグ上位集団のひとつとなった。 日本女子代表第二代監督・鈴木保を監督に迎えた1996年から社員選手はサッカーに専念となり、またグン・ニイボルグ、リンダ・メダレンなどノルウェー女子代表選手の加入もあって、山木里恵、大部由美など日本女子代表選手を輩出したが、アトランタオリンピック(1996年)の出場にもかかわらず人気が上がらないL・リーグの状況や、本社の証券取引法違反などによりチームを取り巻く環境が悪化。試合前の前泊や遠征合宿の中止などを行い懸命の努力を図ったが、リーグ3連覇を果たして絶頂期にあった1998年のシーズン中に廃部を発表し、翌1999年1月に行われた第20回全日本女子サッカー選手権大会の決勝におけるプリマハムFCくノ一戦での敗戦が最後の試合となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日興證券ドリームレディース」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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