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日菜太(ひなた、男性、1986年8月26日 - )は、日本のキックボクサー。本名は渡辺 日菜太(わたなべ ひなた)。神奈川県平塚市出身。クロスポイント吉祥寺所属。初代RISE70kg級王者。 左ミドルキックを得意としており、左ミドルのみで相手を圧倒することも多い。他にも「左だけで7種類の蹴りを使える」と話す通り〔[RISE] 進化した日菜太、三日月蹴りでキシェンコをKO BoutReview 2010年8月2日〕、ローキックや三日月蹴りなど様々なキックを得意としている。 平塚学園高校〔“湘南の太陽”日菜太に一日密着!! K-1公式サイト 2009年2月6日〕、神奈川大学理学部化学科卒業。K-1初参戦3日前の2009年2月20日には大学の卒業研究発表を行った。 == 来歴 == 小学生の時、母親の影響で空手を始める。 2004年、平塚学園高校3年でサッカー部を引退した後、市内にあった湘南格闘クラブに入門。 2004年9月5日、第5回PRIDEチャレンジで高橋基希と対戦し、3-0の判定勝ち。 2005年3月27日、R.I.S.E. KAMINARIMON 70kg以下トーナメント(8人出場)で優勝を果たした。 2005年6月19日、R.I.S.E.でプロデビューするも、吉川英明に判定負けを喫した。 2007年12月16日、R.I.S.E. DEAD OR ALIVE TOURNAMENT '07に出場。1回戦で拳士に判定勝ちしたものの、準決勝で龍二にKO負けを喫した。 2008年3月2日、K-1 JAPAN TRYOUT(ミドル級)を受験し、合格を果たした〔TRYOUTに合格したのは… ドラマが一杯、夢一杯!! K-1公式サイト 2008年3月2日〕〔[K-1] トライアウトで山本真弘、健太、日菜太、竹内裕二も合格 BoutReview 2008年3月2日〕。 2008年5月11日、R.I.S.E. 46で初代70kg級王者決定戦進出を賭け白須康仁と対戦。2Rにバックハンドブローでダウンを奪うなどして、判定勝ち。 2008年7月4日、R.I.S.E. 48で龍二と初代70kg級王者決定戦で対戦し、判定勝ち。初代R.I.S.E.70kg級王者となった。 2008年11月30日、R.I.S.E. 51のメインイベントでHAYATOと対戦し、判定勝ち。K-1 WORLD MAX 2008 〜日本代表決定トーナメント〜で準優勝を果たしたHAYATOに勝利したことで、試合後には「R.I.S.E.のチャンピオンになったので、今度はK-1でもチャンピオンになりたい」とK-1参戦をアピールした。 2009年2月23日、K-1 WORLD MAX 2009 〜日本代表決定トーナメント〜でK-1初参戦。トーナメント組み合わせ抽選会では1回戦で前年度日本王者の城戸康裕との対戦を希望し、実現。2Rにパンチでダウンを奪われるも、それ以外の場面では得意の左ミドルキックの連打で圧倒していたためポイントはイーブンとなり延長に持ち込み、左ミドルで完全に城戸の右腕を破壊して判定勝ち。しかし、大会前から鼻骨を骨折しており、それが悪化したため準決勝はドクターストップとなった。 2009年7月13日、K-1 WORLD MAX 2009 FINAL8で、ジャバル"チンギスハン"アスケロフと対戦し、延長戦で判定勝利を目前でダウンを奪われ逆転の判定負け。 2009年10月26日、K-1 WORLD MAX 2009 FINALでマイク・ザンビディスと対戦し、ローブロー気味の左ローキックでダウンを奪い判定勝ち。再三にわたってローブロー気味の蹴りを蹴っており、2度にわたってローブローでザンビディスがリングに倒れこむシーンもあり、ダウンはその直後だった。しかし減点、注意は無かった。 2010年1月24日、1年2か月ぶりの参戦となったRISEでオ・デュソクと対戦し、大差の判定勝ち。 2010年3月27日、K-1 WORLD MAX 2010 〜-70kg Japan Tournament〜に出場。トーナメント組み合わせ抽選会では前年度K-1 MAX世界トーナメント3位の山本優弥を自ら1回戦の相手に指名。「事実上の決勝戦」と評されたこの試合でも得意の左ミドルキックで山本の動きを止めて激戦の末に判定勝ち。続く準決勝では中島弘貴にKO負け。 その後、2010年7月5日に開催されるK-1 WORLD MAX 2010 〜-70kg World Championship Tournament FINAL16〜の70kg級世界トーナメントの2つの推薦枠へのファン投票が行われたが、日本トーナメント準優勝の中島弘貴が1位、1回戦で日菜太に完敗した山本優弥が2位となり、日菜太は落選となった。 2010年7月31日、RISE 68で、以前から日菜太がライバル視して対戦を熱望していたK-1 WORLD MAX 2008準優勝のアルトゥール・キシェンコと対戦。この試合は減量苦のキシェンコの希望により71kg契約で行われた〔[RISE] 日菜太「MAXの日は悔しくて練習していた」:7.31 後楽園 BoutReview 2010年7月22日〕。試合は序盤から激闘の末に、3Rに三日月蹴りをキシェンコの脇腹に直撃させて大番狂わせのKO勝ち〔。 2010年9月18日、初参戦となったシュートボクシングでアンディ・サワーと対戦。開始48秒スタンディングチョークスリーパーによりタップアウト負けを喫した〔[シュートボクシング] サワー、日菜太をチョークでわずか48秒殺 BoutReview 2010年9月18日〕。 2010年11月8日、K-1 WORLD MAX 2010 FINALのリザーブファイトでアンドレ・ジダと対戦。1Rに左ミドルキック、2Rに左ハイキックでそれぞれダウンを奪い、3-0の大差判定勝ちを収めた〔【K-1MAX】佐藤嘉洋、無念…決勝戦で力尽きる!ペトロシアン史上初の2連覇を達成 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年11月8日〕。 2011年1月23日、REBELS初参戦となった「REBELS-EX 〜HINATA's wave〜」でチェ・ウヨンと対戦し、左ハイキックによるKO勝ち。自身の名前が冠された興行のメインイベントを締めくくった。試合後は「日本人最強決定戦をどこのリングでもいいから早くやりたい」と佐藤嘉洋との対戦をアピールした〔【レベルス】日菜太がハイキックでKO勝ち!佐藤嘉洋との日本人最強決定戦をアピール 格闘技ウェブマガジンGBR 2011年1月23日〕。 2011年7月18日、REBELS.8 & IT’S SHOWTIME JAPAN countdown-1のメインイベントでK-1王者ジョルジオ・ペトロシアンと対戦し、得意の左ミドルを有効に出来ずショータイムルールで反則となるバックハンドブローで減点もあり、大差の判定負けを喫した。負けたにもかかわらずIT’S SHOWTIME代表サイモン・ルッツは高く評価した〔【レベルス】“最強”ペトロシアンが日菜太に完勝、梅野はムエタイ現役ランカーをKO 格闘技ウェブマガジンGBR 2011年7月18日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日菜太」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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