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日西関係史(にちせいかんけいし、にっせいかんけいし)は、日本とスペインの関係についての歴史をさす。なお、1581年から1640年まで、スペイン王がポルトガル王を兼ねており(ポルトガルの歴史参照)、初期の日本との関係においては重複する。この間の史料はもっぱら対外関係を「ポルトガル」とすることが多いが、本稿ではその時期も含めて記述する。 == 概観 == 日本とスペインの関係には460年の交流の歴史があり、伝統的に良好な関係である。 西回りで太平洋に進出、マニラ・ガレオンを開拓しフィリピンを植民地としたスペインおよびスペイン人は、東回りでマカオにまで進出したポルトガルおよびポルトガル人とならんで、16世紀半ば(戦国時代)に日本人が初めて接触したヨーロッパの国・ヨーロッパ人であった。 1549年にはフランシスコ・ザビエルが到来。その後17世紀前半(江戸初期)にかけて、キリスト教の布教(キリシタン)と南蛮貿易を通じて、日本とスペインの間には盛んな往来が見られ、また衣食住を含む当時の日本の文化や世界観にも影響を与え南蛮文化を生む。この間、1584年には天正遣欧使節団がフェリペ2世に、1615年支倉常長がフェリペ3世に謁見している。キリシタン禁教の強化と鎖国体制の完成によってこれらの関係は途絶する。 明治初年(1868年)の修好通商航海条約で日本とスペインは国交を回復するが、明治以降の日本とスペインは、スペイン内戦から第二次世界大戦にかけての一時期を除き、政治・外交上の懸案も少ない代わりに関係や関心も希薄という状況が続き、現在に至っている。なお、1895年に台湾が日本領となってからは、米西戦争の結果スペインが1899年にフィリピンを失うまでのわずかな期間、ルソン海峡を挟んで日本とスペインは一種の隣国であったことがある。 近・現代の日本とスペインの関係は、むしろ文化・芸術・スポーツ面の関心や影響、往来が主である。 :以下の文中ではスペインの領土ないし勢力圏であった諸地域(ラテンアメリカ諸国やフィリピン等)にも触れる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日西関係史」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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