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日親 : ミニ英和和英辞書
日親[にっしん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [にち, ひ]
  1. (n-adv,n-t) sun 2. sunshine 3. day 

日親 : ウィキペディア日本語版
日親[にっしん]

日親(にっしん、応永14年9月13日1407年10月14日) - 長享2年9月17日1488年10月21日))は、室町時代日蓮宗の僧である。埴谷重継の子。「不受不施義」を初めて唱えたとされている。久遠成院と号す。
== 生涯 ==
上総国に生まれる。妙宣寺において父の実弟にあたる日英に学び、中山法華経寺に入門する。応永34年(1427年)に上洛し、鎌倉京都など各地で布教活動を行う。永享5年(1433年)には中山門流の総導師として肥前国へ赴き、門徒を指導したものの、その厳しい折伏に対して反発を買い、同流から破門された。同9年(1437年)再び上洛し、本法寺を開く。日親は諸寺院を日蓮宗に改宗させ、6代将軍足利義教への説法の機会を得た際に他宗の喜捨を説いて建言を禁止された。永享12年(1440年)2月、禁に背いたために投獄され、本法寺は破却となる。拷問を受けた際に灼熱の鍋を被せられたまま説法を説いたという伝説が誕生し、「鍋かぶり上人」「鍋かぶり日親」等と呼ばれた。翌嘉吉元年(1441年)の嘉吉の乱で義教が殺されたことによって赦免され、本法寺を再建。寛正元年(1460年)肥前で布教したために再び本法寺を破却され、8代将軍足利義政からの上洛命令を受けた。同3年(1462年)11月、千葉元胤によって京都に護送され、細川持賢邸に禁錮となるが、翌年(1463年)赦されて、町衆本阿弥清延の協力を得て本法寺を再々建する。長享2年(1488年)に入寂、享年82。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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