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日豪砂糖交渉(にちごうさとうこうしょう)は日豪砂糖長期輸入契約(1974年締結)の見直しを日本側が求めて1976年から1977年にかけて行われた日本-オーストラリア間の交渉。交渉は紛糾し国際問題にまでなったが、結局1年半もの交渉の末に両国の妥協で終結した。日本製糖業界側の一方的かつ強硬な態度は日本国内からも批判を浴びた。日豪砂糖紛争ともいう。 尚、本稿では通貨としてのポンド(イギリスポンド)と重さの単位であるポンドの両方が使われている。当時の国際砂糖取引はロンドン市場が国際指標だったからであり、ニューヨーク・コーヒー砂糖取引所も有力だったからである。「トンあたり」とした場合は通貨としてのポンド(イギリスポンド)であり、ポンドあたりとか/ポンドとした場合は重さの単位であるポンドである。日本-オーストラリア間の決済はアメリカドル、日本円、オーストラリアドルであり、重さの単位はトンであるが、国際相場価格との比較のためにあえて通貨としてのポンド(イギリスポンド)と重さの単位であるポンドを使用している。また本稿では原糖は原料糖であり粗糖と同義、製糖は精製糖製造を意味している。 ==概要== 日本において1973年のオイルショックではトイレットペーパーが買い占められ店頭からトイレットペーパーが無くなったが(トイレットペーパー騒動)、砂糖でもパニック買いの為に店頭から砂糖が無くなる事態を経験している〔現代日本糖業史、467-475頁。〕。また1974年砂糖の国際相場が急騰した。1973年までは1トンあたり100ポンド(通貨)程度だった砂糖国際価格が1974年11月にはトンあたり615ポンドまでになった〔時事解説1977。〕。このため、1974年12月、価格と量の安定供給を求め日本製糖業界はオーストラリアから5年間にわたって毎年60万トンの原糖をトンあたり229ポンド(当時の為替レートで)の固定価格で輸入する日豪砂糖長期輸入契約(日豪砂糖長期貿易協定)を結んだ。契約による原糖の輸入開始は1975年7月からである〔。 ところが、砂糖価格の急騰は一時的なもので契約締結直後から価格が急落し1975年5月には180ポンド/トン程度の価格となった。以降の砂糖の価格は229ポンド/トンを上回ることは無くむしろ180ポンドからさらに下がっていった〔。したがって229ポンド/トンの日豪砂糖長期輸入契約を履行すると日本の製糖会社は必ず赤字になる(その後の為替変動によって価格差はさらに広がっていく)。当時の日本製糖業界各社は構造不況で苦しく、この事態に耐える資金力は無かった〔現代日本糖業史、565-571頁。〕。そのため、日本製糖業界は契約価格を引き下げるようにオーストラリア側に求めたが、オーストラリア側は拒否。1年以上にわたって再三行われた交渉は政府をも巻き込み日豪首脳会談の最重要テーマにもなるが進展はなかった〔朝日新聞1977。〕〔日本経済新聞 1977年8月9日朝刊1面〕。日本製糖業界側はついに1977年7月、合意なく一方的に契約終了を宣言し東京港に到着したオーストラリアからの原糖運搬船の荷揚げを拒否するという強行手段に出た〔現代日本糖業史、565-571頁。〕。オーストラリア側は契約通り原糖を送り続けたので1977年9月上旬にはオーストラリア産原糖を積んだまま荷揚げが出来ず東京湾に停泊している豪州原糖運搬船は10隻にもなり〔〔、オーストラリアはロンドン砂糖協会に提訴する〔〔エコノミスト1977。〕。1977年10月には東京湾や大阪湾で立ち往生している原糖運搬船は16隻になる〔。この事態では「日本は契約を守らない国だ」とオーストラリア側に批判され〔、一方的な都合で契約を変更しようと強行手段にまで及んだ日本製糖業界に対しては日本国内からも批判が集まっている〔〔〔実業往来1977。〕。 しかし世界的な砂糖供給のダブつきもあってオーストラリア側も妥協に踏み切り1977年10月下旬には契約価格を7%引く代わりに量的な付帯条件をつけることで折り合い、日豪砂糖交渉は終了する〔。こののち、日本製糖業界は大きな再編の波を迎えることになる〔現代日本糖業史、573-580頁。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日豪砂糖交渉」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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