|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 日 : [にち, ひ] 1. (n-adv,n-t) sun 2. sunshine 3. day
日郷(にちごう、1293年9月16日(永仁元年8月15日) - 1353年5月28日(文和2年/正平8年4月25日))は、鎌倉時代中期から後期にかけての日興門流の僧。越後国の出身。宰相阿闍梨と称する。日興の弟子、新六の一人。安房国保田妙本寺の開山。 ==略歴== *1293年(永仁元年)8月15日、保田日郷、越後に生まる。 *1310年(延慶3年)、保田日郷、伊賀公日世により得度。 *1322年(元亨2年)、日興、本尊を書写し宰相阿日郷に授与。 *1326年(嘉暦元年)4月、日目、本尊を書写し日郷に授与。 *1331年(元弘元年)12月、日目、日郷に本尊を授与。 *1333年(元弘3年)2月、保田日郷、日興遷化記録及び遺物配分の事を記す。11月15日、3祖日目、太夫阿日尊・宰相阿日郷を伴い天奏上洛の途、美濃国垂井に入滅、荼毘に付す〔74歳〕。日郷、遺骨を奉じて大石寺に帰り下之坊に納む。 *1334年(建武元年)4月4日、宰相阿日郷、安房国に顕徳寺を創す。 *1335年(建武2年)秋、宰相阿日郷、大石寺蓮蔵坊を退出す。宰相阿日郷、安房吉浜に法華堂〔妙本寺〕を創す。 *1336年(延元元年)2月5日、保田日郷、遺誡5ケ条を定む。 *1338年(延元3年)5月5日、南条時綱、寄進状を保田日郷に寄す。 *1340年(興国元年)7月15日、保田日郷、延年寺成願より京鳥辺野の地を求む(日目墓地第1次買得)。 *1341年(興国2年)2月12日、薩摩阿日叡、保田妙本寺において日郷より受学す。3月18日、南条時長、書を保田日郷に報ず。 *1344年(興国5年)4月2日、薩摩阿日叡、安房に着す。1夏中、保田日郷に随って修行を行う。11月30日、保田日郷、薩摩阿日叡を日向惣導師職に任ず。12月12日、保田日郷、薩摩阿日叡を伴って蓮蔵坊〔小泉久遠寺〕に赴く。 *1345年(興国6年)日興・日目13回忌。3月7日、保田日郷、大聖人(日蓮)本尊を京六条坊門にて薩摩阿日叡に授与す。3月14日、保田日郷、上洛して上杉管領に伝奏す。3月15日、保田日郷、天奏により光明院より綸旨並びに嵯峨帝宸翰の法華経10巻を拝領す。 *1347年(正平2年)7月18日、保田日郷、成願後家尼より鳥辺野の地を求む〔日目墓地第3次買得〕。 *1349年(正平4年)11月15日、保田日郷・薩摩阿日叡、京において日目17回忌を修す。 *1353年(正平8年)4月25日、保田妙本寺開基小泉4代宰相阿日郷寂〔61歳〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日郷」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|