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日野原 保(ひのはら たもつ、1908年 - 1999年)は日本の鉄道技術者。京浜急行電鉄副社長、東京電機社長、会長などを務めた。 == 来歴 == 1908年(明治41年)横浜市生まれ。電鉄技術者を志した日野原は1929年(昭和4年)に東京高等工業高校(現、東京工業大学)を卒業したが、折しくも世界恐慌で、なんとか開業準備中の湘南電気鉄道の金沢工場でに実習生のもと無給ながら湘南電気鉄道デ1形電車の装備品の取り付け工事などをし、当時の最新技術を体に叩き込んだ。そして1931年(昭和6年)、京浜電気鉄道に入社した。その後、戦時合併で大東急を経て発足した京浜急行電鉄だが、日野原は戦争で疲弊した鉄道の施設や車両をみて、電車部次長時代に1952年の4月から4ヶ月の間アメリカ、カナダの鉄道視察に出かけた。日野原は運転、保安、車両などの技術だけではなく、鉄道会社による多角的経営も見聞した。帰国後は国内初のCTCの導入やダイヤの見直しなど行った。そして専務を経て、1973年(昭和48年)に副社長に就任し、電気主任技術者と鉄道主任技術者の肩書きがある技術者のトップとなった。その後1979年に退任し、関連会社の東京電機の社長、会長などを歴任した。晩年は白内障の進行の傍ら、横浜市磯子区の自宅で鉄道関連の資料など納める書庫での生活を送ったという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日野原保」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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