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藤原 家宗(ふじわら の いえむね、弘仁8年(817年) - 貞観19年2月10日(877年2月26日)〔『日本三代実録』貞観19年2月10日条〕)は、平安時代前期の公卿。藤原北家、参議・藤原真夏の孫。民部少輔・藤原濱雄の長男。官位は従三位・参議。 == 経歴 == 承和年間に文章生となり、勘解由判官・春宮少進・蔵人を経て、斉衡3年(856年)40歳にしてようやく正六位上から従五位下に叙爵され、翌天安(857年)右少弁に任ぜられる。 天安2年(858年)清和天皇の即位に伴って従五位上に叙せられると、貞観3年(861年)右中弁、貞観5年(863年)正五位下・左中弁、貞観8年(866年)従四位下、貞観11年(868年)従四位上・蔵人頭、貞観12年(870年)右大弁と、清和朝に入ると弁官を務めながら順調に昇進を果たす。貞観13年(871年)には参議に任ぜられ公卿に列した。 清和朝後半は議政官として左右大弁を兼帯し、貞観17年(875年)には正四位下に叙されている。陽成朝の貞観19年(877年)正月に従三位に至るが、同年2月10日薨去。享年61。最終官位は参議従三位行左大弁。 伝領地である山城国宇治郡日野(現在の京都府京都市伏見区)に、弘仁13年(822年)法家寺を建立して最澄自作の薬師如来の小像を祀ったという伝承がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原家宗」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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