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日野 皓正(ひの てるまさ、1942年10月25日 - )は、日本を代表する世界的なジャズ・トランペット(コルネット)奏者。東京都生まれ。2010年現在、アメリカ・ニューヨーク在住。 父は、タップダンサーでトランペット奏者の日野敏。弟は、ジャズ・ドラマーの日野元彦。ベーシストの日野賢二は次男。 日野皓正クインテットでは、メンバーに新人を加え育てていくことでも有名。 1950年代前半に、ティーブ・釜萢が設立した「日本ジャズ学校」に通いトランペットを習った〔〕。またトランペット奏者であった坂上弘からもトランペットの手ほどきを受けた〔「生涯歌う」米寿のラッパー 坂上弘、メジャーデビュー 〕。 私生活では20歳の時に知り合った恋人と最初の結婚をする。その後再々婚した現在の妻はアメリカ人。 == 来歴 == 1964年、白木秀雄クインテットに参加し、その後ベルリン・ジャズ・フェスティバルに出演し世界のジャズ界から注目を浴びた。 1967年、アルバム『アローン・アローン・アンド・アローン』でデビュー。また、ピアニストの菊地雅章と共に日野=菊地クインテットでも活動。 1960年代後半から1970年代前半にかけて日本ジャズの最先端を走り、『日野皓正コンサート』『ハイノロジー』『ライブ』『タローズ・ムード』等数々の作品を発表した。 1968年、エディ・ダニエルズ『This Is New』(コロムビア / タクト)の録音に参加した。 1971年、ジョー・ヘンダーソン『Joe Henderson And Kikuchi, Hino In Concert』(Fontana)の録音に参加した。 1975年から、活動の拠点をアメリカに移す。 70年代後半からはフュージョン分野にもチャレンジ、新鮮なポップ感覚も披露した。現在もニューヨークを中心に活躍中。 1975年、ヨハヒム・キューン『Hip Elegy』(MPS)の録音に参加した。 1976年、リッチー・バイラーク『Zal』(Trio)、1984年、『Ayers Rock』(Polydor)の録音に参加した。 1976年、The Eleventh House featuring Larry Coryell『Aspects』(Arista)の録音でラリー・コリエル、ランデイ・ブレッカー、マイケル・ブレッカー、デヴィッド・サンボーンと共演した。 1977年、ジョン・スコフィールド『John Scofield(East Meets West)』(Break Time)の録音に参加した。 1978年、マル・ウォルドロン『Moods』(Enja)の録音でスティーヴ・レイシーと共演した。 1982年、エルヴィン・ジョーンズ『Earth Jones』(Palo Alto Jazz)の録音でケニー・カークランド、ジョージ・ムラーツと共演した。 1989年、日本人ミュージシャンとしては初めてブルーノート・レコードと専属契約する。 1996年、有馬記念においてスタート前のファンファーレを担当。 2000年、大阪音楽大学短期大学部客員教授就任。 2004年、紫綬褒章を受章。 2006年、ティファニー、ハンク・ジョーンズ『My Favorite Things』(ヴィレッジミュージック / Eighty-Eight)の録音に参加した。 2009年、大会実行委員として「ザ・レジェンド・チャリティプロアマトーナメント」をスタート。病と戦うこども達への支援や、東日本大震災で家族を失った孤児や遺児を支援する団体並びに基金に寄付を行っている〔ザ・レジェンド チャリティプロアマトーナメント|大会概要 〕。 2010年、尚美学園大学客員教授就任。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日野皓正」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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