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日量(にちりょう、1771年2月18日 - 1851年5月29日)は、大石寺第48世法主。清姓。 ==略歴== *1771年(明和8年)2月18日、富士上条にて誕生。 *1789年(寛政元年)、細草檀林に入檀。 *1797年(寛政9年)、京九条住本寺(現在正信会僧侶が占有中)住職。 *1808年(文化5年)、細草檀林80代化主となる。 *1808年(文化5年)8月、江戸下谷常在寺住職。 *1813年(文化10年)11月、大石寺帰山。 *1815年(文化12年)、大石寺学頭となる。 *1816年(文化13年)12月7日、興目御両尊和讃を著す。 *1817年(文化14年)2月16日、44世日宣より法の付属を受け、48世日量として登座。 *1817年(文化14年)11月、日目以下歴代御伝を著す。 *1820年(文政)3年8月、日量、49世日荘に法を付属し、寿命坊に移る。 *1823年(文政6年)5月、富士大石寺明細誌〔宝冊〕を著す。 *1824年(文政7年)6月、本因妙得意抄を著す。 *1825年(文政8年)2月、日寛上人伝を著す。11月、目師略伝を著す。 *1826年(文政9年)11月、尾張本因妙講を激励す。 *1827年(文政10年)1月18日、尾張信徒を激励す。 *1828年(文政11年)12月、尾張信徒を激励す。断疑生信録を著す。 *1830年(天保元年)5月8日、49世日荘寂。6月24日、日量ふたたび登座。 *1831年(天保2年)8月、日蓮大聖人第550遠忌を修す。 *1831年(天保2年)9月、日量、50世日誠に法を付属し、寿命坊に移る。 *1832年(天保3年)11月、美濃垂井に日目500遠忌の大塔婆建立。 *1836年(天保7年)5月1日、50世日誠寂。日量、法を51世日英に付属する。 *1836年(天保7年)5月、続家中抄を著す。11月、事一念三千抄を著す。 *1840年(天保11年)2月28日、江戸常泉寺において天英院殿100回忌法要3日間執行。 *1841年(天保12年)10月、幕府の御尋12ケ条に返答す。 *1843年(天保14年)12月、当体義抄題号記を著す。 *1846年(弘化3年)10月、富延問答記録案を著す。 *1850年(嘉永3年)11月13日、興師一代略頌を著す。 *1851年(嘉永4年)5月29日、80歳で死去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日量」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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