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旧マナグア大聖堂(Antigua Catedral de Managua、またはCatedral de Santiago de Managua)は、ニカラグアの首都マナグアにあるネオクラシカル様式の大聖堂の廃墟である。1973年12月23日の地震で被災し、今日に至るまで再建されていない。 == 建築 == 1912年に、ローマ教皇ピウス10世によってマナグアの大司教区と、レオン、グラナダ、マタガルパの教区が創設された。それまでは唯一レオンに司教座が設置されているだけであった。ホセ・アントニオ・レスカノ・イ・オルテガがマナグアの初代大司教に任ぜられ、18世紀末に建てられたマナグアの小教区教会は首都の大聖堂(Catedral Metropolitana)に格上げとなった。1925年、この18世紀の大聖堂は新たな大聖堂を建築するために取り壊された。 1925年4月5日、レスカノ大司教とニカラグア大統領カルロス・ホセ・ソロルサノによる質素な式典の中、建設地に最初の石が置かれた。大聖堂の設計は1926年1月10日に発表されていたが、この設計は大司教を満足させるものではなかった。レスカノ大司教はあるベルギーの教会の写真を気に入り、ベルギーの教会の写真を元に設計図を描くよう、スイス人移民の技師Pablo Dambachに要求した。鉄骨はベルギーから取り寄せることになり、船でチナンデガ県のコリント港まで送られ、そこからは鉄道を使ってマナグアまで輸送されている。1928年に旧大聖堂の建設工事が開始された。 建設開始から3年後の1931年3月31日に、マグニチュード5.8の地震が首都マナグアを襲うなど、災害や資金不足で完成まで時間を要し、将軍アナスタシオ・ソモサ・ガルシアの独裁政権時1938年12月31日に建物は完成した。しかし、大聖堂として聖別されたのは、マナグア市制100周年を祝う式典が行われていた1946年7月24日である。ソモサ家はミサが執り行われ聖歌が歌われる間、儀式の特別な場所を占めた。大聖堂の内外装は、ステンドグラス、壁龕、大理石の祭壇、聖堂上部と下部に刻まれた浮き彫り、穹窿の飾灯といった装飾で飾られた。 大聖堂外部の背面と側面には、バルトロメ・デ・ラス・カサス、マルヒル・デ・ヘスース、イサベル・デ・カスティーリャ、ホセ・アントニオ・レスカノ・モラレス(レスカノ大司教の父方の伯父)、クリストーバル・コロン、フェルナンド7世、フランシスコ・エルナンデス・デ・コルドバの像が配置されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「旧マナグア大聖堂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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