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ロシア正教会における古儀式派 () とは、旧儀派・旧教徒・旧儀式派・スタロヴェールとも呼ばれ、総主教による奉神礼改革を嫌って1666年以降に総主教の率いる主流派から分離した諸教派の総称である。有効な聖職位階の存在を認める司祭派(容僧派)及びそれを否定する無司祭派(無僧派)に大別される。 古儀式派は現在もロシア正教会の奉神礼改革以前の古い祈祷様式を保持する。 分離派教徒(ラスコーリニキ、Raskolnik)という呼称は、主流派教会側が使う蔑称であり中立的な立場の者は使用しない。また、近年では主流派教会との関係改善に伴い、主流派教会に属する信徒・関係者も「分離派(ラスコーリニキ)」の名称を用いずに「古儀式派(スタロオブリャージェストヴォ)」を用いる傾向がある〔主流派教会の流れを汲む日本正教会の信徒である川又一英も、著書『イコンの道-ビザンティンからロシアへ』(東京書籍、2004年。 ISBN 4487798973)、『ビザンティン・ロシア思索の旅』(山川出版社、2002年。 ISBN 463464780X)において、「分離派」などの表記・表現ではなく「古儀式派」の用語を用いている。川又一英は『ビザンティン・ロシア思索の旅』において、正教徒であることを名乗った上で、ルーマニアのブゴヴィナに居住する古儀式派と交流もしている。〕。一方で、主流派ロシア正教会が分離派という用語を使うことを止めたわけではなく、また、この用語は古儀式派以外のさまざまなキリスト教教派に対しても使用されている〔http://www.anti-raskol.ru/ 〕。 ==歴史== 国家公認教会への改宗を拒んだ古儀式派教徒への対処は、当初「税金を2倍払う」などの比較的軽いものだったが、次第に拷問・処刑を含む迫害へと変っていった。彼らの多くがウクライナ・シベリア・ロシア極東地域・ポーランド・沿バルト地域・ルーマニア・トルコ・新疆(東トルキスタン)などに逃れた。ピョートル1世の治世で激しい迫害が行われたが、エカテリーナ2世の下で緩和された。ただし、古儀式派信徒たちへの政府による主流派ロシア正教会への改宗の促進は続行された。 1905年、ニコライ2世は古儀式派を含む主流派ロシア正教会以外の諸宗派の活動を公認した。 ソビエト連邦成立後も彼らへの迫害は続き、レーニンの妻のナデジダ・クルプスカヤは「富農階級との闘争とはすなわち古儀式派との闘争である()」というテーゼを打ち出した。古儀式派は聖職者だけではなく一般信徒までもが多数死亡することとなった。 迫害および飢餓が原因となりソ連時代も海外移住は続き、中国・アメリカ・ブラジル・ボリビア・アルゼンチン・オーストラリア・ニュージーランド・カナダ・日本(函館、サハリン南部)などへ古儀式派は移住・再移住した。 現在、古儀式派の共同体は、ロシア・ベラルーシ・ラトビア・リトアニア・エストニア・モルドバ・ウクライナ・ウズベキスタン・カザフスタン・キルギスタン・アルメニア・グルジア・ポーランド・ルーマニア・オーストラリア・ニュージーランド・アメリカ・カナダ・ブラジル・ボリビア・ドイツなどに存在している。 近年になって古い奉神礼の形式・古い聖歌の研究などにおいて、古い礼拝様式を重んじる古儀式派とロシア正教会が協力する共同研究が行われる場面も出ており双方向の交流も盛んになっている。 一方アルタイ地方の首都であるバルナウルには、古儀式派の荘厳な建造物である教会も建設中である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「古儀式派」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Old Believers 」があります。 スポンサード リンク
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