|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 旧 : [きゅう] 1. (n,pref) ex- ・ 宮家 : [みやけ] (n) residence or family of a prince ・ 家 : [いえ, け] 1. (suf) house 2. family
旧皇族(きゅうこうぞく)とは、1947年(昭和22年)に皇籍離脱した11宮家51名の元皇族とその子孫を指す俗称である。旧宮家ともいう。 いずれにしても俗称であるから、正式・正確な定義というものは存在しない。各人が各人の立場や好みにより自由な解釈を行っている。 竹田恒泰によれば、宮内庁は1947年に皇籍離脱した11宮家51人の王、王妃、女王を「元皇族」、その中で当時宮家の当主だった王を「旧皇族」と定義しているという〔ブログ開設しました! 産経新聞朝刊に注目! 竹田恒泰blog 2006年2月1日〕。また高森明勅や小林よしのりらは自身の著書や講演での発言において、旧皇族とは実際に1947年に皇籍離脱した人物であるとし、離脱後に誕生した男系子孫については一度も皇族であった時期がないという点から「旧宮家系国民男子」と呼んでいる。 ==概説== 旧皇族の11家は、すべて室町時代以来続く世襲親王家の筆頭であった伏見宮家の男系子孫にあたる。現皇室と旧皇族の男系での共通の先祖は、伏見宮貞成親王(後崇光院)である。 旧皇族の各家は、いずれも明治維新前後の時期に、伏見宮家の第19代貞敬親王及び第20代・第23代邦家親王の王子が還俗して、宮家を創設もしくは継嗣のいない宮家を相続したことに起源を有する。ただし、この時期に新立した宮家に関しては1代限りとして、2代目からは臣籍降下させて華族に列することとし、世襲は想定されていなかった。 伏見宮家をはじめ、桂宮・有栖川宮・閑院宮の各世襲親王家に共通することであるが、これら4家が代々、親王の身位を世襲してきたのは、時の天皇との血縁の近さによるものではなく、あくまでも家の特権としてである。歴代の当主及び継嗣は、そのときどきの天皇または上皇の猶子となることにより、擬制的な親子関係を構築し、そのことを根拠にして親王宣下により親王の地位と称号を与えられてきたのである。また、門跡寺院に入寺する法親王・入道親王は天皇または上皇の養子として親王宣下を受けることになっており、明治維新前後に新設された宮家は、当時の廃仏毀釈の風潮に乗って続々と還俗した元門跡たちに、その身分にふさわしい礼遇を与えるためのものであった。 旧皇族は、伏見宮貞常親王の兄彦仁王が、男子を儲けないまま崩御した称光天皇の後を受けて後花園天皇となって以後、現在の皇室(後花園天皇の男系子孫)とは男系血統では完全に分岐しているため、上述の通り男系での血縁は非常に遠い。 また明治天皇の皇女である4人の内親王が、竹田宮、北白川宮、朝香宮、東久邇宮の各家に、昭和天皇の皇女・成子内親王が東久邇宮家にそれぞれ嫁いでいるため、現皇室とも姻戚関係が深い。なお、昭和天皇の皇后である香淳皇后は久邇宮家の女王である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「旧皇族」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|