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旧小坂家住宅 : ミニ英和和英辞書
旧小坂家住宅[きゅうこさかけじゅうたく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きゅう]
  1. (n,pref) ex- 
: [さか]
 【名詞】 1. slope 2. hill 
: [いえ, け]
  1. (suf) house 2. family 
: [じゅう]
 【名詞】 1. dwelling 2. living 
住宅 : [じゅうたく]
 【名詞】 1. residence 2. housing 3. residential building 
: [たく]
 【名詞】 1. house 2. home 3. husband 

旧小坂家住宅 : ウィキペディア日本語版
旧小坂家住宅[きゅうこさかけじゅうたく]

旧小坂家住宅(きゅうこさかけじゅうたく)は、東京都世田谷区瀬田にある歴史的建造物。「瀬田四丁目広場」として公開されている。
==沿革==
世田谷区内の国分寺崖線沿いには多くの近代別邸建築が存在したが、そのうち現存する唯一のものである〔世田谷トラストまちづくり・2012:9頁〕。
当住宅は、1937年から1938年(昭和12年 - 13年)にかけて、実業家・政治家の小坂順造(1881年 - 1960年)の別邸として建てられた。小坂は長野市の生まれで、信濃銀行取締役、信濃毎日新聞社取締役社長などを歴任したほか、衆議院議員、貴族院議員を務めている。古美術品のコレクターとしても知られている。小坂の本邸は東京都渋谷区にあったが、1945年(昭和20年)の戦災で本邸が焼失してからは、この別邸を本邸とした。別邸の敷地は北側が狭く、南が広いL字形を呈し、ほぼ中央を国分寺崖線が通っているため、建築に適した土地は東寄りの南北に細長い台地上の部分のみである。敷地北端には道路に面して表門を開き、崖下の敷地南西端に裏門がある。表門から南へのアプローチを進むと、敷地の東寄りに主屋が建ち、主屋の手前西寄りには中門と塀がある。かつては表門付近に管理人住居、車庫、運転手控室などがあったが、これらは1996年(平成8年)に撤去されている〔世田谷区教育委員会、2001年、pp.1 - 3〕。
棟札には「昭和12年10月2日上棟」とある。設計・施工は清水建設の前身である清水組で、同社の記録によれば1937年(昭和12年)7月に起工し、1938年(昭和13年)9月竣工した〔世田谷区教育委員会・2001:1頁〕。
1996年(平成8年)10月に世田谷区が緑地保護のために公園用地として土地を購入、建物は小坂家より寄贈を受けた。その後、内部の改修工事を経て一般公開。1999年(平成11年)11月24日に世田谷区指定有形文化財となった〔世田谷トラストまちづくり・2012:9頁〕。

他に敷地内の国分寺崖線下に設けられていた茶室があったが、区が寄贈を受ける前に取り壊されている。ここには東京大空襲を避けた横山大観が1945年(昭和20年)3月から約3ヶ月間移り住んだ。これには横山が画家の堅山南風から疎開を勧められたという背景がある〔世田谷区教育委員会・2001:2頁。〕。
世田谷区より委託を受け、1999年(平成11年)4月より財団法人せたがやトラスト協会(のち一般財団法人世田谷トラストまちづくり)が公開管理にあたっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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