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旧永山武四郎邸(きゅうながやまたけしろうてい)は、北海道札幌市にある歴史的な建築物の名称。北海道の開拓に尽力した軍人・華族の、永山武四郎が住む邸宅として、明治時代に建設された。現在は札幌市が邸宅の周辺をとりまく公園とともに管理しているほか、北海道指定有形文化財の指定を受けている。所在地は北海道札幌市中央区北2条東6丁目9番22号。 == 沿革 == 旧永山武四郎邸は、北海道庁長官や第7師団長を歴任し、陸軍中将従二位勲一等男爵の官位を授かった軍人・華族の永山武四郎が住む邸宅として、明治10年(1877年)代の前半に建設された建造物である。邸宅の総面積は136.06平方メートル。中央区北2条東6丁目という中心部に位置しており、面している北3条通は北海道庁旧本庁舎に通じる道路である。現在は公園緑地に囲まれ、サッポロファクトリーに隣接しているが、邸宅が建設された当時は、北海道の開拓の中心となる屯田司令部や工業局製作所、葡萄酒製作所や麦酒製作所など産業が集結していたという。 現在は南側の木造部とともに、緑色の屋根が特徴的な木造クラブが連結した建造物であるが、明治時代に創設された当初から南側の木造部分のみが武四郎の邸宅であった。南側の書院座敷と、北側の西洋建築の建物にある応接室を直結させた和洋折衷の造りは、建築当時の北海道開拓時代において西洋建築が住宅に用いられた先駆的な例となった。なお建造物の仔細なデザインなどから、邸宅の設計にあたったのは、当時の開拓使工業局の手によるものであるとされている。 その後1904年に永山武四郎は逝去、1911年8月に邸宅は三菱合資会社により買収され、北海道の起業準備や炭鉱事業の調査を行う中心的役割を担う施設となった。また、会社は1913年4月に道路用の敷地としておよそ313坪の土地を札幌市に寄贈、1937年前後には株式会社三菱鉱業セメントによって建物の2階部を含む木造クラブが新たに建設された。この際、南側の邸宅部分にあった台所や風呂などが解体されている。それから邸宅は、三菱鉱業社の札幌寮として使用され、北側の木造クラブ・洋館部分は貴賓室としても利用、邸宅の周辺に造られていた庭園も同時に保存されるなど、長きにわたり主に寮という用途で利用されてきた。 1986年度より、札幌市で旧永山武四郎邸周辺の再開発事業が開始された。札幌市はこの再開発事業において、歴史的なまちづくりを推し進める目的で、北海道の開拓時代ゆかりの建造物である邸宅とその周りを囲んでいる庭園を譲り受けた。翌1987年の11月27日、旧永山武四郎邸は北海道より、北海道指定有形文化財のうける。その後2年をかけ、庭園やその周辺地域の整備、並びに邸宅そのものの修復・修繕工事が行われ、記念公園が設立された。以来、建物と公園双方の管理・保存が行われ、現在に至る。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「旧永山武四郎邸」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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