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旧高原ビル(きゅうたかはらビル、英語:Former Takahara Building)は、徳島県徳島市東船場町1丁目に位置する歴史的な建造物(ビルディング)。現「国際東船場113ビル」。国の登録有形文化財に登録されている。とくしま市民遺産選定。 == 歴史 == 石油と食用油の卸売業を営んでいた旧高原商店(「高原石油株式会社」、2007年に廃業)が昭和7年(1932年)に建てた、鉄筋コンクリート3階建て、延べ194m²のビル。 ドイツ製防火窓やロマネスク風の装飾などに特徴がある洋風建築で、完成当時は阿波農工銀行(旧農工銀行)の本店として利用されていた。平成9年(1997年)に、国の登録有形文化財に登録された。 設計は当時の建築業界の先達であり、名古屋における近代建築の開祖とされる鈴木禎次(1870 - 1941年)が手がけ、昭和6年(1931年)着工、翌年3月に竣工。当時の徳島市における鉄筋コンクリート造の建物といえば徳島県庁、徳島市役所、銀行、百貨店のみで民間にあってはこの建物が初めてであったという。 昭和20年(1945年)7月4日未明に徳島市を襲った徳島大空襲により、徳島市の殆んどが焼け野原となったとき、高原ビルとわずかな建物が奇跡的に残っていた。今も建築当時の装飾変わらぬ旧高原ビルは、窓ガラスに空襲時の大火による熱割れ、縦横に亀裂が走るなど戦争の悲惨さと凄まじさを伝えている。 平成20年(2008年)5月に、ビルの所有者が総合建設業「株式会社国際」(社長:山田隆生)に変わり、ビルの名前が「国際東船場113ビル」と改名されたものの、「戦禍の生き証人」である高原ビルを残していく考えから、ビル内の一室をギャラリー「新町川文化ギャラリー」として公開し、人々に活用されるテナントビルとして使用しながら保存していくということで、歴史研究家からも保存に期待が寄せられている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「旧高原ビル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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