|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 早 : [はや] 【名詞】 1. already 2. now 3. by this time ・ 川 : [かわ] 【名詞】 1. river 2. stream ・ 一 : [いち] 1. (num) one ・ 光 : [ひかり] 【名詞】 1. light
早川 一光(はやかわ かずてる、1924年(大正13年)1月3日 - )は、ラジオパーソナリティ、医師(外科医)。 ==人物== 満州奉天(今の瀋陽)生まれ。戸籍上の生年月日は1924年1月3日だが、実際の生年月日は1923年12月26日。愛知県知多郡横須賀町(現東海市)育ち。父は小児科の医者。次男(末っ子)だが「一光」と名付けられる。 1948年、京都府立医科大学卒業。 1950年、京都市上京区西陣に住民出資の白峰診療所を開設。 1958年、堀川病院 に発展し、院長、理事長を歴任、1984年から1999年の辞任まで顧問を務めた。 「自分の体は自分でまもる」をスローガンに、住民主体の地域医療に専念してきた。 1980年、「わらじ医者 京日記 ボケを看つめて」(1979年1月、ミネルヴァ書房)で第34回毎日出版文化賞を受賞。1982年にはこの本を題材にしたNHKドラマ人間模様『とおりゃんせ』(田村高廣主演 1982/7/4~8/1 全5回)が放映された。 1997年、京都府北桑田郡美山町の美山診療所 の公設民営化に従事し、2003年まで医療法人「美山健康会」理事長、美山診療所 所長として、農村での地域医療に携わった。地道な地域医療を実践していることから、「わらじ医者」と言われている。 現在は、1988年に立ち上げた「総合人間研究所」所長として、人間を医学の面からも哲学の面から宗教の面からも見ていこうという総合人間学の研究、各地での講演活動を行う。2002年に京都・衣笠に「わらじ医者よろず診療所」を開設、医療相談も行っている。 公益社団法人「認知症の人と家族の会」顧問。 生年月日は1924年1月3日になっているが、早川によると親の話では実際は1923年12月26日であるとのこと。これは親が生まれて数日で2歳(数え)になることを嫌い、1月3日で届け出たためだという(2015年8月15日『早川一光のばんざい人間』より)。他に実際に出生した日と戸籍上の生年月日の異なる人物は植木等、関根潤三、板東英二、徳光和夫などがいる。 1987年10月3日より毎週土曜日の朝に、KBS京都ラジオで「早川一光のばんざい人間」のパーソナリティーをしている。現在の放送時間は、午前6:30~8:30。 趣味は麻雀。以前は将棋だったが、負けてばかりなので麻雀に転向した〔「早川一光のばんざい人間」2012年3月3日〕。大学では野球部に所属。好きな食べ物は肉、すいか。若い頃から肉、特にビフテキが大好きであるが、野菜は嫌いでほとんど食べない。魚は大嫌いである。酒は飲まない。 満州で生まれて、4歳までいた。父は満鉄病院に勤めていた。ペチカの石炭の火とゴッゴッという石炭の音は、今もなんとなく頭に残っている。4歳の時、家族で愛知県横須賀町に帰った。 孫が7人、ひ孫が1人いる(2012年5月30日現在)。福島県立医科大学准教授早川岳人(はやかわたけひと)の父親。 「早川一光のばんざい人間」で反原発を非常に強く訴えている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「早川一光」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|