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早川 宗八郎(はやかわ そうはちろう、1926年3月15日 - 2014年8月26日)は、日本の工学者。東京工業大学名誉教授、同大学元理学部長、職業能力開発総合大学校元校長、同大学校名誉教授。日本基督教団の牧師でもあった。東京大学工学博士。専門は固体光物性、紛体物性、エネルギー変換物性。 == 経歴 == 東京市本所区に生まれる。父50歳、母41歳という老齢の父母のもと、7人兄弟の末子として誕生した(8人目の子供だが1人は夭逝していた)。下町育ちそのままに、中学2年生までは毎日午後9時過ぎまでガキ大将として日々を過ごした。また、幼年のころから剣道の修練に励んだ。中学3年生のときにそれまでの生活にむなしさを感じ、第一高等学校に入ることと、剣道から禅の道に転換する目標を立てた。努力の甲斐あって、四修(飛び級)で一高理科の入試に合格した。また、受験勉強で忙しい中も剣道室で毎日1時間ずつ般若心経を輪読し、「色即是空、空即是色とは何か?」と思索を続けた。 太平洋戦争中に東京帝国大学理学部物理学科に入学し、空襲警報の下で細々ながら勉学を続けた。1945年3月の東京大空襲で家を焼かれてなくし、両親と兄1人も失った。自身も顔半面にやけどを負い、運河に飛び込んで2時間以上の逃避の末に一命を取りとめた。戦後、生き残った兄たちや知人の助けにより、1947年に大学を卒業、そのまま大学に残って研究生活に入った。 1952年に結婚し、その後2男をもうけた。東京工業大学助教授時代に約2年間米国留学をして、ユダヤ人の指導教授、知人と交際することにより、信仰の深さを知った。帰国後2年目、38歳で教授に昇格した。そのときは何とも言えぬもの悲しさ、むなしさを感じた。このころキリスト教と出会い、キリスト教徒となった。 東工大退官後、千葉大学を経て職業訓練大学校の校長となり、教育体制の見直しとカリキュラム・教員構成・施設設備の整備に尽力した。 東工大時代の教え子に菅直人(元首相)、吉川邦夫(東京工業大学教授)、富取正彦(北陸先端科学技術大学院大学教授)、明田川正人(長岡技術科学大学教授)、新井豊子(金沢大学教授)らがいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「早川宗八郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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