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早川 松山(はやかわ しょうざん、嘉永3年〈1850年〉 - 明治22年〈1889年〉)とは、明治時代の浮世絵師。 == 来歴 == 河鍋暁斎の門人。幼名は徳之助〔狩野寿信編『本朝画家人名辞書』 大倉書店、1906年〕。晴斎、帰誠と号す。幼時、左目を失明している。明治9年(1876年)頃から特に活動を始め、明治10年(1877年)に「鹿児島征討図」や「九州植木口激戦図」などといった西南戦争を描いた錦絵10点ほどが知られている。他に内国勧業博覧会の図や横浜絵を手がけている。明治10年(1877年)、松月保誠と改名した。 『河鍋暁斎絵日記』(国立国会図書館所蔵)の中に数回登場しており、「惺々早川晴斎」の落款の肉筆作品が河鍋暁斎記念美術館に所蔵されている。また、『河鍋暁斎翁伝』には、暁斎の次男・河鍋暁雲の談話として、浅草観音堂に早川松山筆の額絵がある、という記載がある。 なお、『浮世絵の基礎知識』(吉田漱著)は、松山の没年を明治26年(1893年)頃としている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「早川松山」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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