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早水台遺跡(そうずだいいせき)は、大分県速見郡日出町川崎にある旧石器時代から縄文時代早期にかけての遺跡である。別府湾を眼下に望む河岸段丘上に立地する。 == 概要 == 縄文時代早期の遺跡としては、遺跡の名が付いた早水台式土器の出土地として知られる。早水台式土器は細かい目の押型文土器で、西日本における縄文時代早期の標識土器とされている。他遺跡から出土した同型土器の放射性炭素年代測定によれば、その年代は8,200年前とされる。 旧石器時代の遺跡としては、1950年代に東北大学の芹沢長介をはじめとする多数の考古学者によって5次にわたって行われた発掘調査〔このとき出土した遺物は、石英脈岩、石英粗面岩製の礫器、祖型ハンドアックス、ピック、尖頭石器、剥片、石核など425点である〕で下層から発見された石英製石器が、10万年以上前の前期旧石器時代のものとされ注目を集めた〔東北大学の中川久夫は、この遺跡が立地する地形面を最終間氷期以降に形成された河岸段丘と見なし、石器を包含する安山岩角礫層は10万年前後の年代と推定した〕〔松藤和人著 『日本列島人類史の起源 -「旧石器の狩人」たちの挑戦と葛藤-』 雄山閣 2014年 p.51〕。しかし、現在では、日本には前期~中期旧石器時代の確実な遺跡は存在しないとされている。最近の研究では、注目の「石英製旧石器」は層位学上、約4万年前〔九重第一テフラ〕以降に位置づけられる可能性が高いとされる。 1963年以降、大分県教育委員会によって発掘調査が度々行われ、竪穴住居も検出されている。1964年2月の発掘調査で芹沢長介は深さ地下約3メートルにある安山岩角礫層(5層)から出土した石英脈岩製の石器に注目した。このときの調査(第5次)で3層上部から後期旧石器時代の石刃、石刃核、刃部磨製石斧などが出土している。 〔松藤和人著 『日本列島人類史の起源 -「旧石器の狩人」たちの挑戦と葛藤-』 雄山閣 2014年 p.48-49〕。 2001年には、東北大学総合学術博物館によって37年ぶりに第6次調査が、第7次(2001年)・第8次(2002年)調査も行われており、第5次(1964年)調査で芹沢長介が検出した「石英製石器」の出土層を確認している。この一連の調査で2~4センチ大のスクレイパー類が多く出土し、この遺跡の下層の石器群は、チョッパー、チョッピング・トゥール、プロト・ハンドアックスの大型石器とともに、小型の石器が主体を占めている事が分かった。また、安山岩角礫層(5層)のすぐ上から九重第一軽石(Kj-P1、約5万年前)に由来する火山ガラスが検出され、地質学上の年代下限が把握された〔松藤和人著 『日本列島人類史の起源 -「旧石器の狩人」たちの挑戦と葛藤-』 雄山閣 2014年 p.55〕。 その結果を踏まえた過去の調査の検証が期待されている。 大分県は学術的な重要性に照らし県の史跡に指定した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「早水台遺跡」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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