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早稲田文学 : ミニ英和和英辞書
早稲田文学[わせだぶんがく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はや]
 【名詞】 1. already 2. now 3. by this time 
早稲 : [わせ]
 【名詞】 1. early ripening rice 
: [いね]
 【名詞】 1. rice-plant 
稲田 : [いなだ]
 【名詞】 1. paddy field 2. rice field 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [ぶん]
 【名詞】 1. sentence 
文学 : [ぶんがく]
 【名詞】 1. literature 
: [がく]
 【名詞】 1. learning 2. scholarship 3. erudition 4. knowledge 

早稲田文学 : ウィキペディア日本語版
早稲田文学[わせだぶんがく]

早稲田文学』(わせだぶんがく)は、早稲田大学文学部を中心にした文芸雑誌1891年明治24年)、坪内逍遥が創刊。第2次『早稲田文学』は自然主義文学の牙城として、新現実主義の『新思潮』、耽美派の『三田文学』とともに日本文学史上知られている。
休刊と復刊を繰り返しており、現在は第10次『早稲田文学』が2007年より不定期に刊行されている。また、フリーペーパー『WB』も全国で配布中である。
== 沿革 ==
; 第1次(1891-1898年)
: 坪内逍遥の評論を掲載。森鴎外との没理想論争の舞台になった。他に島村抱月広津柳浪らが執筆。
; 第2次(1906-1927年)
: 留学から帰国した島村抱月が中心になって復刊。自然主義文学の拠点になった。正宗白鳥秋田雨雀らが執筆。
; 第3次(1934-1949年)
: 谷崎精二谷崎潤一郎の弟)らが主宰。第二次世界大戦中も刊行を続けた。
; 第4次(1949年)
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; 第5次(1951-1953年)
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; 第6次(1959年)
:
; 第7次(1969-1975年)
: 1968年より立原正秋1970年から有馬頼義が編集長を務めた。
; 第8次(1976-1997年)
: 編集兼発行人はフランス文学者平岡篤頼見延典子もう頬づえはつかない』、三石由起子ダイアモンドは傷つかない』などの話題作が掲載された。新人作家の発掘に意欲的であり、1984年に早稲田文学新人賞を設けた。同新人賞は、盛田隆二まきのえり向井豊昭大久秀憲阿部公彦らを輩出している。
; 第9次(1997年-2005年)
:編集参加者として批評家の池田雄一市川真人らが名を連ね、小説よりも批評、思想を中心とした編集方針にシフトした誌面作りになった。
; 第10次(2008年-)
:2008年4月に「早稲田文学1」として早稲田文学会発行、太田出版発売にて復刊。
もともと早稲田文学は同人誌ではなく、書店で販売する商業誌であった。(第9次)2005年5月号までで書店売りの形態を一時休止し、同年11月から2007年まではフリーペーパー形式(『WB』)で刊行された。2008年4月に『早稲田文学1』として復刊し(第10次)、再び商業誌として再開した。
2007年発売の復刊準備号に掲載された川上未映子の小説「わたくし率イン歯ー、または世界」が芥川賞候補作となった。2012年9月発売の同誌に掲載された黒田夏子の『abさんご』は翌年の芥川賞を受賞した。大手文芸誌以外から候補作、受賞作が出るのは久々のことであった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「早稲田文学」の詳細全文を読む




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