翻訳と辞書
Words near each other
・ 旭堂南湖
・ 旭堂南紅
・ 旭堂南華
・ 旭堂南陵
・ 旭堂南陽
・ 旭堂南青
・ 旭堂南鱗
・ 旭堂南鷹
・ 旭堂小二三
・ 旭堂小南陵
旭堂左南陵
・ 旭大星
・ 旭大星託也
・ 旭天山
・ 旭天山武
・ 旭天鵬
・ 旭天鵬勝
・ 旭太郎
・ 旭姫
・ 旭実


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

旭堂左南陵 : ミニ英和和英辞書
旭堂左南陵[きょくどう さなんりょう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [あさひ]
 (n) morning sun
: [どう]
  1. (n,n-suf,n-pref) (1) temple 2. shrine 3. hall 4. (2) prefix to building meaning "magnificent" 
: [みなみ]
  1. (n,vs) South 2. proceeding south 
: [みささぎ]
 【名詞】 1. imperial mausoleum 2. Emperor's tomb 

旭堂左南陵 : ウィキペディア日本語版
旭堂左南陵[きょくどう さなんりょう]
旭堂 左南陵(きょくどう さなんりょう)は、上方講談。幕末からある名前。当代は特に代数は振っていない。
----
旭堂 左南陵(きょくどう さなんりょう 1949年 - )大分県南海部郡出身の講談師。本名、久保康利。
大分県立佐伯鶴城高等学校卒業後、東京でサラリーマンを1年間勤め、その後大阪で浪曲岡本梅寿軒の門下になる。後音楽ショウあひる艦隊」に岡本浩の名で参加し1969年に初舞台。1972年に3代目旭堂南陵の門下で南京から南鏡と改名。一時東京の6代目一龍斎貞水の預かり弟子で講談組合に所属。1980年夏に真打昇進し左南陵(ひだりなんりょう)を襲名。1996年名古屋に移住した後、大須演芸場を拠点として活躍を開始。2007年に読みを(さなんりょう)と改名。現在は名古屋中心に大阪でも口演している。
== 参考文献 ==

*「現代上方演芸人名鑑」(1980年、少年社)
きよくどう さなんりよう

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「旭堂左南陵」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.