|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 旭 : [あさひ] (n) morning sun ・ 星 : [ほし] 【名詞】 1. star
旭大星 託也(きょくたいせい たくや、1989年10月18日 - )は、北海道旭川市出身で、友綱部屋(入門時は大島部屋)所属の現役大相撲力士。本名は大串 拓也(おおぐし たくや)。身長183cm、体重142kg、血液型はB型。最高位は西十両7枚目(2015年11月場所)。 == 来歴 == 幼少期は父親から空手の指導を受けていたが、小学校2年次に地元のスポーツ少年団で柔道を始める。2002年に旭川市立啓北中学校へ進学したが、柔道部が無かったため野球部に所属し、柔道は引き続き地元の道場で指南を受けた。2年生のときに地元を合宿のため訪れていた大島部屋からスカウトを受けたが、この時は入門を断っている。そのまま柔道の特待生として旭川大学高等学校へ進学し、柔道部のエースとして活躍。複数の大学から推薦入学の誘いを受けたが、勉強をしたくないという理由で進学には乗り気でなかった。そのような状況で、高校3年生の夏に、再び大島親方(元大関・旭國)がやってきて、スカウトを受けた。相変わらず相撲に興味は持っていなかったが、裸一貫から勝負できることに魅力を感じたため、相撲への転向を決意し、大島部屋への入門が決まった。〔ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2014年5月号(夏場所展望号) 64頁〕上京直前には父親から「もう帰ってくる場所がないから覚悟しろ」と厳しい言葉で送り出された。〔辛抱のかい 北海道新聞 2014年7月15日〕 地元の友人・知人・親戚らに盛大に見送られて上京し、高校卒業を間近に控えた2008年1月場所で初土俵を踏み、翌3月場所からは旭大星に改名。入門同期生には誉富士、明瀬山、慶天海らがいる。入門から半年の間になかなか体重が増えなかったことや部屋の厳しい稽古や生活、成績が一進一退続きであったことに耐えかねて部屋から逃亡したこともある が、体が大きくなるにつれて番付も上昇し、2010年9月場所では初めて幕下に昇進。2012年1月場所以降は幕下の地位に定着した。同年4月に、師匠の停年(定年)退職に伴って大島部屋が消滅したため、友綱部屋に移籍。自身と同じく現役時代は軽量だった入門時の師匠・旭國の相撲をDVDで研究し、稽古相手も増えた新しい環境で、2014年に入ってからは体重も大幅に増加。5月場所後の番付編成会議で新十両昇進が決定した。北海道出身力士の新十両昇進は2001年11月場所の若天狼以来〔旭大星 13年ぶり道産子関取 日刊スポーツ 2014年5月28日〕。北海道出身十両の復活は、前述の若天狼が引退した2011年5月技量審査場所以来である。7月場所初日の十両土俵入りでは所作を間違えるハプニングが発生。〔【名古屋場所】13年ぶり道産子関取・旭大星、鮮やか上手投げで白星発進! 2014年7月14日6時0分 スポーツ報知〕この場所は千秋楽に勝ち越しを懸けるも惜しくも7勝8敗の負け越し。翌9月場所は9日目からの5連敗が響いて5勝10敗と負け越し、新十両から2場所で幕下の地位に戻ることとなった。東幕下5枚目の地位を与えられた11月場所も7番相撲で3勝4敗と負け越し、半枚下の西幕下5枚目の地位で4勝3敗の成績を残した舛ノ山に場所後の再十両を譲る格好となった。 ところが、その後は4場所連続で勝ち越し、2015年9月場所で6場所振りに十両に復帰した。その場所は9勝6敗と勝ち越している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「旭大星託也」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|