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旭日松広太 : ミニ英和和英辞書
旭日松広太[あさひしょう こうた]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [あさひ]
 (n) morning sun
旭日 : [きょくじつ]
 (n) rising sun
: [にち, ひ]
  1. (n-adv,n-t) sun 2. sunshine 3. day 
: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 

旭日松広太 : ウィキペディア日本語版
旭日松広太[あさひしょう こうた]

旭日松 広太(あさひしょう こうた、1989年7月21日 - )は、千葉県野田市出身で友綱部屋(入門時は大島部屋)所属の現役大相撲力士身長175cm、体重142kg。本名は松嶋広太。最高位は東前頭11枚目(2012年11月場所)。得意技は押し・引き。血液型はB型。
== 来歴 ==
3歳からレスリングを始め、野田市立木間ヶ瀬小学校2年次から6年次まで5年連続で全国大会で優勝している。野田市立木間ヶ瀬中学校進学後もレスリングを続けチャンピオンも経験していたが、「レスリングではメシが食えない。有名、金持ちになりたい。」という動機〔『相撲』2005年4月号〕で中学卒業と同時に相撲へ転向することを決意。中卒見込みとなった2005年3月場所、本名の松嶋の四股名で大島部屋から初土俵を踏んだ。同年11月場所において四股名を松嶋から旭日松に変え、序ノ口、序二段、三段目を経て2008年7月場所には幕下に昇進した。休場もあってやや低速したが2009年5月場所には再び幕下へ戻った。その後は幕下の地位で相撲をとっていたが、2011年9月場所で西幕下12枚目で7戦全勝優勝を果たし11月場所での十両昇進が決まった。野田市出身の関取は初である。13日目の豊後錦に勝って7戦全勝優勝が決まったときには嬉しさのあまり涙を流した。
新関取となった11月場所では十両の土俵にやや苦戦したものの14日目に自身初の新関取での勝ち越しを決めた。翌2012年4月24日には、師匠の定年に伴って所属していた大島部屋が閉鎖され、本人は「星1つが足らずに大島部屋での入幕会見は果たせなかった」ことを悔しがっており「もっと師匠に怒られたかった。」とふがいなさを感じていたそうである(直前の3月場所では東十両4枚目で9勝を挙げて翌場所は同筆頭となっており、あと1勝できていれば入幕していた可能性が高い)。〔『相撲』2012年5月号58頁〕2012年5月場所より友綱部屋所属となった。
移籍2場所目となる2012年7月場所は西十両4枚目で10勝5敗の好成績をあげ、翌9月場所では大島部屋入門者としては旭富士から数えて10人目となる新入幕となった。同場所7日目に髙安との同期対決を演じるも、塩撒きで観衆を沸かせたのとは裏腹にあっさりと寄り切られて、勝負では髙安の方が歓声を浴びた。結局8勝7敗と勝ち越したが、翌場所から2場所連続負け越して十両へ陥落した。
2013年7月場所では東十両7枚目で9勝6敗の成績を残した。普通なら入幕は不可能に近いが、番付運に恵まれ、翌9月場所では東前頭16枚目に昇進し、再入幕を果たした(なお、7月場所で番付が半枚上の西十両6枚目の豊真将も同じく9勝6敗の成績でありながら、翌9月場所では西前頭13枚目まで大きく番付を上げた)。この場所は4日目までで3勝1敗の好成績だったが、9日目の翔天狼との取組で左肘内側側副靱帯を損傷してしまい、10日目から幕内では初めての休場。しかし休場を我慢しきれず〔『相撲』2013年11月号59頁には「テレビ観戦でストレスが溜まった。」と本人のコメントが記述されている。〕13日目から再出場をして、最後は2連勝でこの場所を終えた。翌11月場所は4日目の徳真鵬戦での白星から11日目の鏡桜戦での黒星まで8日間にわたってヌケヌケの状態を繰り返した末、14日目に勝ち越しを果たし、最終的には9勝6敗の成績に終わった〔『相撲』2013年12月号64頁には、5日目にポール・マッカートニーが観戦にやって来て場内がざわついたことに対して本人が「あれで集中力が一気に途切れた。」と4日目までの勝ちっ放しが終わったことに悔み「連敗したらポールのせいにしようと思った」と冗談を口にする様子が記述されている。〕。2014年1月場所からは7月場所までは十両で4場所連続負け越しを喫するなど調子が上がらなかったが、東十両11枚目まで番付を下げた9月場所に8勝7敗と勝ち越し、東十両6枚目まで番付を回復した次の11月場所も8勝7敗と勝ち越した。2015年5月場所は9日目に大翔丸を徳利投げの奇手で破っており、この場所は9勝6敗の勝ち越し。〔『相撲』2015年6月号72頁〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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