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昌傳庵(しょうでんあん)は、宮城県仙台市若林区荒町にある曹洞宗の寺院。新字体を用いて「昌伝庵」と書く場合もある。山号は奕葉山(えきようざん〔(公式リーフレット)〕)。 == 歴史 == 出羽国・舘山城()を本拠としていた伊達尚宗が、亡くなった3男の久松丸の供養を目的として、現在の山形県立米沢東高等学校()の辺りにあった新町(あらまち)に永正3年(1506年)に開基〔し、総持寺前住で越前大芸寺5世だった喜山高悦を招いて開山した〔曹洞宗 奕葉山昌伝庵 (山形県米沢市で再興された方の昌伝庵の公式サイト)〕。伊達政宗の転封に伴って、陸奥国の岩出山城()の城下町へ、さらに仙台城下町へと移転し、現在地()に伽藍が創設された。「米沢六町」の1つである新町も、伊達氏の移封に従って岩出山に移って新町と称し、仙台に移ると荒町と称した。寛永5年(1628年)頃、若林城下町開府により仙台城下町も拡張され、それに伴って荒町も現在地へと再度移転したため、昌傳庵は米沢でかつて所在した町の流れをくむ町に再び存立することになった。 江戸時代は松音寺、泰心院、輪王寺とともに仙台藩曹洞宗4ヶ僧録司の一つとされる。また、仙台藩での寺格は着座格。 明治22年(1889年)に鹿落観音堂(仙台三十三観音第33番札所)を管理していた仏経山大蔵寺が昌傳庵に統合されたために、鹿落観音堂の管理寺院となる。 なお、室町時代初期に陸奥国の会津地方に創建された正傳庵が、米沢に移されて伊達氏により昌傳庵として再興されたとの説もあるが、詳細は不明〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「昌傳庵」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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