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昌嬪安氏(しょうびんあんし、チャンビンアンシ、1499年 - 1549年)は李氏朝鮮第11代国王・中宗の後宮。 == 生涯 == 1507年に女官に選ばれて、宮廷生活を始めた。 中宗の母慈順大妃(貞顕王后)の目に入り、 1518年(中宗13年)、20才の時中宗の寵愛を受け、22才の時に正五品承恩尚宮になり、31才の時に従四品淑媛、42歳には従三品淑容に上がった。 1521年には永陽君(李岠)、1526年に敬慎翁主、 1530年に徳興大院君を生んだ。 優れた人格と品位を持っていたので文定王后も彼女を格別に思っていた。 1544年に中宗が亡くなると慣例により安氏も喪に伏し仁寿宮に退こうとしたが、文定王后の強力な引き止めがあった。 1549年(明宗4年)10月13日、51歳で突然死亡した。 1568年、徳興大院君の三番目の息子・河城君李昖が第14代国王宣祖となると、1577年(宣祖10年)、昌嬪に追尊された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「昌嬪安氏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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