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昌慶宮[ちゃんぎょんぐん]
昌慶宮(チャンギョングン、しょうけいきゅう)は、ソウル市にある李氏朝鮮時代の宮殿。 ==歴史== 世宗元年(1419年)に建築され、最初の名前は寿康宮といったが、成宗14年(1483年)に修繕されたのち、現在の名前である昌慶宮に変えられた。南側には宗廟、西側には昌徳宮が隣接している。 文禄の役(1592年)において、国王の宣祖が漢陽(ソウル)から逃亡すると、豊臣秀吉軍の入城を前に朝鮮の民衆によって略奪と放火の対象となり景福宮や昌徳宮などと共に建物の多くが焼失した〔朝鮮王朝の正史『朝鮮王朝実録(宣祖修正実録)』には民衆によって略奪・放火されたと明記されており、李廷馥の『四留斎集』や李恒福の『白沙集』にもその時の様子が記されている。因みに日本側記録『大徳寺文書』では国王が内裏に放火して逃亡したとある。いずれにせよ日韓双方の記録が秀吉軍の入城を前に消失したとしている。〕。 1909年、日本が純宗の心を慰めるとして昌慶宮内の宮門や塀を壊して動物園(「京城李王職昌慶苑動物園」)と植物園を造り〔, 2004) 55ページ〕 一般人も観覧できるようになり、1911年には博物館を建て、昌慶苑に改名した。1984年、動物園などをソウル郊外のソウル大公園へ移転させ、昌慶宮を復元・整備し、再び名前を元来の昌慶宮に戻した。大韓民国の史跡第123号に指定されている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「昌慶宮」の詳細全文を読む
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