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明徳馬皇后 : ミニ英和和英辞書
明徳馬皇后[ばこうごう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

明徳 : [めいとく]
 (n) virtue
: [うま]
 【名詞】 1. (1) horse 2. (2) promoted bishop (shogi) 
皇后 : [こうごう]
 【名詞】 1. (Japanese) empress 2. queen 
: [きさき]
 【名詞】 1. empress 2. queen

明徳馬皇后 : ウィキペディア日本語版
明徳馬皇后[ばこうごう]
馬皇后(ばこうごう、40年 - 79年8月16日)は、後漢の第2代皇帝明帝の皇后。は徳、諡号としては、夫の諡を重ねて明徳皇后(めいとくこうごう)。武将として光武帝の漢朝再興に貢献した馬援の娘である。
光武帝皇后の陰麗華と共に、歴代でも屈指の賢夫人とされ、政治に対しての介入は一切せず、親類が外戚として権力を振るうことを押さえ込んだ。ゆえに光武帝・明帝の2代には後漢朝の通弊である外戚禍がほとんどなかった。ただその馬皇后も一度だけ権力を私的に使ったことがある。前漢の時代に反乱を起こした一族の馬何羅のことを『漢書』に載せないで欲しいと班固に頼んだのだが、班固はこれを断った。ただし、『漢書』で馬何羅を「莽何羅」と記していることが多いのは、馬皇后らとの関係を隠蔽しようとしたからである可能性がある。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「明徳馬皇后」の詳細全文を読む




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