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明日 待子(あした まつこ、1920年3月1日〔ムーラン・ルージュ『出演者営業鑑礼芸名及氏名』執筆年不明(1930年代としている)・国立国会図書館所蔵〕 - )は、日本の女優、日本舞踊家。昭和初期~戦後にかけてムーランルージュ新宿座の看板スターの一人で、元祖・ライブアイドルの一人〔『幻の近代アイドル史』 (2014年刊・笹山敬輔/著)〕とされている。岩手県釜石市出身。本名は須貝 とし子(すがい としこ)。現在は日本舞踊家で正統五條流宗家家元・五條 珠淑(ごじょう たまとし)を名乗っている。 == 略歴 == 1920年(大正9年)、岩手県釜石市で小野寺とし子として生まれる。尺八を嗜む警察署長の父と義太夫を嗜む母の影響があって芸事に関心を持ち、女優を志すようになる。 13歳のとき釜石市において地方巡業中だったムーランルージュの俳優・有馬是馬にスカウトされ、即入団が決定したという。 1933年(昭和8年)上京。劇場設立者の佐々木千里宅に居候する。入団当時の愛称は「チィ」。屈託のない笑顔、愛らしいルックスで人気を博し、ムーランルージュ新宿座の看板女優として活躍。現役時代は雑誌のグラビアや初代カルピスCMガール、ライオン、キッコーマンなどのポスターに起用されるなど一大ブームを巻き起こし、現在でいうところのアイドル的人気であった。 また、当時開業して数年の小田急ロマンスカーはムーランルージュ新宿座に「小田急行進曲」と「小田急音頭」の製作を依頼しており、沿線案内の吹き込みには看板スターの待子が担当していた。 1938年(昭和13年)、映画『風車』出演。以降『春爛漫狸祭』・マキノ映画作品『鉄路の薔薇』合わせて三本出演している。 1949年(昭和24年)、北海道の興行会社「須貝興業(現・SDエンターテイメント)」の御曹司と結婚。以降は札幌市に居住し、のちに舞踊研究所を開く。 1979年(昭和54年)度札幌市民文化奨励賞受賞。 1994年(平成6年)、正派五條流宗家家元、五條珠淑を襲名。現在に至るまで日本舞踊家の師範として活動している。 2011年(平成23年)、新宿ケイズシネマで上映された映画『ムーランルージュの青春』の舞台挨拶に出席。約60年ぶりに公の場に姿を現した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「明日待子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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