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恵比島駅(えびしまえき)は、北海道(空知総合振興局)雨竜郡沼田町恵比島にある北海道旅客鉄道(JR北海道)留萌本線の駅である。電報略号はエヒ。 一部の普通列車(朝一番の増毛行きと夜の深川行き)は通過する。 == 歴史 == * 1910年(明治43年)11月23日 - 鉄道院留萠線深川駅 - 留萠駅間開通に伴い開業〔書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館、1993年6月発行)179ページより。〕〔書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 1 北海道』(監修:今尾恵介、新潮社、2008年5月発行)44ページより。〕。一般駅。 * 1913年(大正2年)頃 - 留萌炭鉱が当鉄道との間に貯炭場(峠下貯炭場)を設け、山元より貯炭場まで約8kmの蒸気機関車による軽便鉄道を敷設。また、当駅-峠下駅中間より同貯炭場まで専用線を引き込む〔北海道炭鉱汽船70年史 昭和33年発行、北海道鉱業概要 大正7年発行、大正12年版全国専用線一覧より。専用線 延長4M(マイル)以下。なお昭和5年版からは記載されていない(ただし以下に述べる地図上では分岐点からの専用線の延長は500-600m前後であり、専用線一覧の記述は恵比島駅からの作業距離約4kmを含んだ数値と見られる)。管轄は当駅。専用線の分岐位置は、大日本帝国陸地測量部大正10年発行及び昭和7年発行の5万分の1地形図「恵比壽」によれば付近から北へ分岐。なおこの地形図上では軽便鉄道の終点(同炭鉱の山元)はで、現在留萌川に沿って上流へ向かう道道613号線はほぼその軌道跡であった。また、付近から東方へ「平澤」沿いに600m程度の分岐線を持っていた。留萌炭鉱は大正8年より北海道炭鉱汽船が租借し天鹽(天塩)炭礦と称したが、第一次世界大戦後の不景気により採炭に至らずそのまま休止となった。〕。 * 1920年(大正9年)頃 - 留萌炭鉱の軽便鉄道及び専用線が休止。その後1923年(大正12年)以降1930年(昭和5年)までに廃止〔。 * 1930年(昭和5年)7月1日 - 留萠鉄道当駅 - 太刀別駅間開通〔。それに伴い同鉄道の分岐駅となる。 * 1931年(昭和6年)10月10日 - 線路名を留萠本線に改称、それに伴い同線の駅となる〔。 * 1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。 * 1954年(昭和29年)11月25日 - 跨線橋設置〔沼田町百年史 平成7年3月発行。〕。 * 1965年(昭和40年)9月20日 - 駅舎改築〔。 * 1969年(昭和44年)5月1日 - 留萠鉄道休止〔。 * 1971年(昭和46年)4月15日 - 留萠鉄道廃止〔。 * 1977年(昭和52年)5月25日 - 貨物取扱い廃止。 * 1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物取扱い廃止。同時に出札・改札業務を停止し旅客業務について無人化。但し閉塞扱いの運転要員は継続配置。 * 1986年(昭和61年)11月1日 - 閉塞合理化に伴い交換設備廃止。運転無人化〔書籍『無人駅探訪』(監修:西崎さいき、文芸社、2011年6月発行)148ページより。〕。 * 1980年代後半 - 駅舎改築、貨車駅舎となる。 * 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化に伴いJR北海道に継承。 * 1997年(平成9年)4月1日 - 線路名を留萌本線に改称、それに伴い同線の駅となる〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「恵比島駅」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Ebishima Station 」があります。 スポンサード リンク
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