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明昇(めい しょう)は元末に成立した夏の第2代皇帝。 == 生涯 == === 幼帝期の混乱 === 天統4年(1366年)、太祖明玉珍の崩御に伴い即位し開熙と改元した。即位時は僅か10歳であり、母の彭太后による摂政が行われたが、重臣たちをうまく統御する事はできなかった。 まず六卿の司馬だった万勝が同じく司空の張文炳を暗殺し、今度は張文炳と親しかった太祖の養子明昭が万勝を殺した。このまま混乱が連鎖的に激化するかに思われたが、この時は宰相の戴寿の献策で明昭を処刑して何とか事なきを得た。しかしこの事件で六卿のうち二卿を失い、さらに3年後には国内制度を整備してきた劉楨が死去したことで、順帝は建国時の6人の重臣のうち3人までを失ってしまった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「明昇」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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