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明智玉 ( リダイレクト:細川ガラシャ ) : ウィキペディア日本語版
細川ガラシャ[ほそかわがらしゃ]

細川 ガラシャ(伽羅奢、迦羅奢)〔「伽羅奢」の表記は日本史大事典・第6巻 167ページ(平凡社 1994年)、日本女性人名辞典 945ページ(日本図書センター 1998年)、世界大百科事典・第26巻 292ページ(平凡社 1988年)による。なおウェブサイト「肥後細川藩拾遺」に紹介されている「細川公爵家の先祖忠興夫人の信仰美談」(山本秀煌 1930年)には、「細川家記」からの引用として「迦羅奢」と表記されている。〕 / 明智 珠明智 玉)(ほそかわ ガラシャ / あけち たま、永禄6年(1563年) - 慶長5年7月17日1600年8月25日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。明智光秀の三女で細川忠興正室は「たま」()または玉子(たまこ)。キリスト教信徒(キリシタン)として有名。
子に、於長(おちょう:前野景定正室)、忠隆興秋忠利多羅(たら:稲葉一通室)などがいる。
明治期にキリスト教徒らが彼女を讃えて「細川ガラシャ」と呼ぶようになり、現在でも広くこのように呼ばれる場合が多い
== 生涯 ==

=== 忠興に嫁ぐ ===

永禄6年(1563年)、明智光秀と妻・煕子の間に三女(四女説もある。ただしこの場合、長女と次女は養女であり、実質は次女となる)として越前国で生まれる。
天正6年(1578年)、15歳の時に父の主君・織田信長のすすめによって細川藤孝の嫡男・忠興に嫁いだ。珠は美女で忠興とは仲のよい夫婦であり、天正7年(1579年)には長女が、同8年(1580年)には長男(細川忠隆、後の長岡休無)が2人の間に生まれた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「細川ガラシャ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Hosokawa Gracia 」があります。




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