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明極楚俊(みんきそしゅん、弘長2年(1262年) - 建武3年9月27日(1336年9月28日))は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて、元から日本へ渡来した禅僧。明極は号。法諱が楚俊。俗姓は黄。仏日燄慧(えんね)禅師。 == 人物・来歴 == === 元での禅名 === 南宋時代の景定3年(1262年)、明州慶元府昌国で生まれる。1273年、12歳の時に霊巌寺の竹牕喜を拝して剃髪受具(出家)。育王山の横川如珙に参じて悟りを得る。その後、霊隠寺の虎巌浄伏の門に移って侍香として仕え、虎巌の法を嗣ぐ。また天童寺に赴いて止泓道鑑に侍して蔵鑰となり、その後金陵(南京)の奉聖寺に出世。瑞巌寺・普慈寺の両寺に歴住した後、婺州双林寺主となるなど、すでに元の禅宗界において高名な存在であった。径山(きんざん)の前堂首座(しゅそ)として居していた天暦2年(1329年、日本では嘉暦4年)、日本の大友貞宗からの使節に招請され渡日を受諾。竺仙梵僊を伴い、天岸慧広・物外可什・雪村友梅と同船して5月に博多へ入港した。このときすでに68歳であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「明極楚俊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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