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明楽茂村 : ミニ英和和英辞書
明楽茂村[あけら しげむら]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たのし, らく]
  1. (adj-na,n,n-suf) comfort 2. ease 
: [むら]
 【名詞】 1. village 

明楽茂村 : ウィキペディア日本語版
明楽茂村[あけら しげむら]
明楽 茂村(あけら しげむら、宝暦10年(1760年) - 天保12年(1841年))は、江戸幕府の幕臣、旗本。子は普請奉行などを勤めた明楽茂正
== 略歴 ==
宝暦10年(1760年)に生まれる。初名は源次郎。後に八五郎、八郎右衛門。明和3年(1766年)10月4日に家督を継ぐ〔『新訂 寛政重修諸家譜』第二十一 237頁〕。御広敷御庭番となり、御普請方改役、普請下奉行を経て、寛政6年(1794年)7月25日に御目見の身分となり西丸二丸山里の御庭預となる〔。寛政9年(1797年)4月7日に御休息御庭者支配となり、同年9月14日には御賄頭となる〔。
文化10年(1813年)閏11月に腰物奉行となり100俵高に加増。文化13年(1816年)12月には勘定吟味役上座となり、文政5年(1822年)4月に100俵加増、文政10年(1827年)11月に御留守居番との兼職を命ぜられる。天保2年(1831年)12月に諸大夫役となり飛騨守を称す〔『江戸城御庭番』(深井雅海著)205頁〕。
天保3年(1832年)3月15日、同月に亡くなった村垣定行に代わり勝手方勘定奉行に就任し500石高となる〔『国史大辞典』3巻 842頁。勘定奉行一覧より。〕。天保8年(1837年)8月28日に300石加増されて800石高になる〔。天保12年(1841年)正月、勘定奉行在任中に没す〔。享年82。
なお、茂村は御庭番として身分を隠して諸国の実情を探る遠国御用も勤めている。天明8年(1788年)2月に小十人格御庭番の梶野平九郎と共に京都へ、寛政8年(1796年)4月には添番並庭番の高橋松三郎と共に上方筋を調査するための御用を果たしたという記録が残っている〔『江戸城御庭番』(深井雅海著)69頁〕。
また、天保9年(1838年)には、全国の諸大名から集めた資料に基づいて天保の国絵図を作成している。茂村の指揮の下、幕府勘定所が一手に改訂したもので、「松前島(北海道)」図に北方地域に関する新しい情報が書き加えられているのが特徴である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「明楽茂村」の詳細全文を読む




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