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明治丸(めいじまる)は日本の船舶。灯台巡視船として日本政府がイギリスに発注し、天皇の乗る御召し船や練習船としても使用された。国の重要文化財に指定されている。 == 歴史 == 明治初頭、洋式灯台の建設に伴って、その測量やメンテナンスのために灯台巡視船が日本にも登場した。灯台の増加により新鋭船が必要となったため、日本政府はイギリスのグラスゴーにあるネピア造船所に本船を発注した。本船は1874年9月26日に進水し、同年11月24日に竣工している〔庄司、2007年、P.1〕。「明治丸」と命名された本船は、翌1875年2月20日に横浜港に到着し、灯台巡視船の任に就いた。 「明治丸」は、当時の日本国内における最優秀船であった〔庄司、1996年、P.52〕ため、通常の灯台見回り業務の他にも様々な活動を行い、日本の近現代史に業績を残している。 日本に回航された1876年にはイギリスとの間で小笠原諸島の領有問題が生じたため、11月21日、日本政府調査団を乗せて横浜港を出航し、24日に父島に入港した。新鋭船で船足が速く、22日に同じく横浜を出航した英国軍艦「カーリュー」より2日早く着き、調査を進められたため、日本の小笠原諸島領有の基礎を固めることができたとされている。 また、御召し船としても用いられており、特に、1876年には明治天皇の北海道・東北地方への巡幸に供され、7月20日に横浜に無事帰港した事を記念して1941年にこの日が『海の記念日』(現在の海の日)に制定された〔庄司、1996年、P.53〕。1875年3月5日の、軍艦「清輝」の進水式の際にも明治天皇は乗船している。また1879年の琉球処分の際には尚泰を乗せて東京まで航海し、1887年には高崎五六らの硫黄列島への探検航海に用いられるなどした。 その後、海軍省から譲渡された「新発電丸」が後任に就くと、「明治丸」は1897年9月に商船学校(現・東京海洋大学)に貸与された。さらに同年11月には同校に移管され、係留練習船として操帆訓練などに用いられた。1901年12月25日に現在の東京海洋大学・越中島キャンパスに移動し、1911年と1917年には台風や高潮でバウスプリットが折れるなどの被害を受けつつ、1923年の関東大震災や1945年の東京大空襲の際には数千人の罹災者を収容している〔。 1945年9月には学校とともに進駐アメリカ軍に接収され、酒保になっていた。その後1951年に係船地で座礁したのを契機に接収が解除され、1952年には浮揚させて上甲板などの修理が行われたが、1954年に老朽化のため練習船の任務を解除された。その後も1975年頃までは結索実習などに船内が使われ、1978年5月31日には船として初めて国の重要文化財に指定されている。1988年1月29日に保存修理工事を終え、1989年5月16日から2009年1月まで一般に公開されていた。 1988年の修理後、経年劣化により再度大規模修復が必要となり、大学と文化庁との間で協議が行われ、明治丸修復計画が策定されている。この修復計画を基に、周辺の環境整備や海事技術資料の収集、次世代の海事産業を担う青少年への海事意識啓発活動を行う「明治丸海事ミュージアム事業」が進行中である。 東京海洋大学では2009年度から修復事業等の費用に充てるため、「明治丸海事ミュージアム事業募金」を設置し募金を呼びかけていた。 平成25年12月より、本学と文化庁により大規模修復工事が行われていたが平成27年3月に竣工した。7月19日に明治丸修復完工記念式典を挙行し、翌20日には船内を含む特別公開を実施した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「明治丸」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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