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明治會堂(めいじかいどう)は、福澤諭吉と慶應義塾(現・慶應義塾大学)の政治結社グループにより建築された政談演説公会堂〔塩出浩之(2005), p. 178〕。明治17年(1884年)に「厚生館(こうせいかん)」へと名称が変わり、「木挽町厚生館」として知られた〔塩出浩之(2005), p. 178〕。 ==歴史== ===建設経緯=== 慶應義塾は明治8年(1875年)に既に三田演説館を設けて「三田演説会」を頻繁に開催し、大井憲太郎や植木枝盛といった民権派の壮士が数多くここから輩出されていたが〔塩出浩之(2005), p. 178〕、慶應義塾外においても演説会場の必要性を感じた福沢諭吉は、明治13年(1880年)6月に「明治会堂建築相談会」を発足させて門下生の馬場辰猪、森下岩楠、肥田昭作、朝吹英二、渡辺恒吉らに会堂建築計画を相談〔福澤(2001), p. 377〕。 創立者同志の金子堅太郎が、懇意にしていた前東京府知事・由利公正の洋式邸宅が空家になっていたのでこれを福澤に知らせ、この由利の邸宅と所有地を買い取って9月に着工〔福澤手帖(1996), p. 11〕。設計者は藤本寿吉。明治14年(1881年)1月に完成。年号よりその名を取り「明治会堂」と定めた。当時、東京府下で一番の演説会専用の会場として開館直後から連日客席は満員となる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「明治会堂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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