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明治宮殿(めいじきゅうでん)は、かつて宮城(現皇居)に存在した建物で、明治時代から第二次世界大戦末期まで、皇室の中心的施設であった。 == 建設の経緯 == 1868年(明治元年)から1869年(明治2年)に行われた東京奠都によって、旧江戸城西の丸御殿が皇居となったが、1873年に失火により西の丸御殿は焼失した。直ちに新宮殿造営が政府により上奏されたものの、西南戦争の戦費等の財政負担も大きく、国内整備が先決との明治天皇の意向により、新宮殿造営は見送られた。このため、旧紀州藩江戸藩邸であった青山御所が仮皇居となった。 しかし、青山御所では儀式典礼に支障をきたすようになったため、ようやく宮殿造営が勅許された。新しい宮殿(明治宮殿)は、旧江戸城西の丸に建設されることとなり、1888年(明治21年)10月7日に落成した。当初はジョサイア・コンドルの設計による石造りの建築として計画されたが、宮内省内匠寮との軋轢や予算の関係で、京都御所を模した和風の外観に、椅子やシャンデリアのある洋風の内装という和洋折衷の様式の木造建築となった。明治宮殿では、天皇が日常の政務を行う御座所や儀式の場である正殿、鳳凰の間、豊明殿などと、天皇の住居である奥宮殿が、接続してひとつの建物を構成していた。また宮内省庁舎も新築となり、宮殿とは渡り廊下によって続いていた。 落成翌年の1889年(明治22年)の大日本帝国憲法発布式は、この明治宮殿で行われた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「明治宮殿」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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