|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 瀬 : [せ] 【名詞】 1. current 2. torrent 3. rapids 4. shallows 5. shoal ・ 川 : [かわ] 【名詞】 1. river 2. stream ・ 四 : [よん] 1. (num) four
明瀬川 傳四郎(あきせがわ でんしろう、本名:我妻 傳四郎(あがつま でんしろう)、1918年3月23日-1989年10月20日)は、宮城県宮城郡七ヶ浜町出身で、1940年代後半に活躍した大相撲力士。伊勢ヶ濱部屋に所属していた。最高位は東前頭13枚目(1949年1月場所)。現役時代の体格は173cm、86kg。得意手は左四つ、寄り。 == 来歴 == 19歳の時に伊勢ヶ濱部屋へ入門し、1937年5月場所で初土俵を踏んだ。 「明瀬川」の名で序ノ口に付いた1939年1月場所では、7勝0敗という好成績を残していきなり優勝を果たしている。その後も順調に出世し、1945年6月場所で新十両に昇進。 最盛期でも173cm、86kgという体格の、小兵であった。 左四つからの寄りを得意とする相撲巧者で、千賀ノ浦親方(元関脇・幡瀬川)からの教えを受けた前捌きも上手かった。 1947年11月場所にて新入幕を果たすも、幕内では体力不足や軽量であった事が祟って苦戦し、上位には進出できなかった。 巡業先では、初っ切りを担当した事もある。 西十両14枚目の地位で初日より休場した1950年1月場所を以って31歳で引退し、以降は年寄・間垣として後輩達を指導していたが、翌年5月場所後に角界を去った。 その後は大阪府内に移住し、運転手の仕事に従事したという。 1989年10月20日、病により逝去。71歳没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「明瀬川傳四郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|