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明田川孝 : ミニ英和和英辞書
明田川孝[あけたがわ たかし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [こう]
 【名詞】 1. filial piety 

明田川孝 : ウィキペディア日本語版
明田川孝[あけたがわ たかし]
明田川 孝(あけたがわ たかし、1909年6月22日 - 1958年8月13日)は、日本彫刻家・音楽研究家。
新制作協会彫刻部創立会員。東京美術学校在学中より気鳴楽器オカリーナを研究・制作し、「12穴式オカリーナ」の開発に成功。日本にこの楽器を広め根づかせた「アケタオカリーナ」の創始者であり、「日本のオカリーナの父」と呼ばれている。長男はジャズ・ピアニストの明田川荘之。
==来歴==

*1909年新潟県北魚沼郡藪神村(後・広神村→現・魚沼市)に誕生。
*1927年日本大学中学校(現・日本大学第一中学校・高等学校)を卒業。
*1928年東京美術学校(現・東京藝術大学)彫刻科塑造部に入学し、在学中よりオカリーナの研究・制作を開始。
*1933年東京美術学校(現・東京藝術大学)卒業。
*1934年国展にて国画奨学賞を受賞。
*1935年、新興美術家協会展に入選。
*1936年、新興美術家協会展にて新作家賞を受賞し、会友に推薦される。国画会彫刻部有志と造型彫刻家協会を結成。
*1937年国画会同人に推薦される。
*1939年国画会を脱会し、本郷新山内壮夫吉田芳夫舟越保武佐藤忠良柳原義達とともに新制作派協会(現・新制作協会)彫刻部の創設に参加。
*1948年、「12穴式オカリーナ」を完成。
*1950年、「12穴式オカリーナ」実用新案を取得。
*1953年オカリーナの試作により、東京都知事賞を受賞。
*1958年、病のため東京都新宿区の病院にて死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「明田川孝」の詳細全文を読む




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