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明田川 孝(あけたがわ たかし、1909年6月22日 - 1958年8月13日)は、日本の彫刻家・音楽研究家。 新制作協会彫刻部創立会員。東京美術学校在学中より気鳴楽器オカリーナを研究・制作し、「12穴式オカリーナ」の開発に成功。日本にこの楽器を広め根づかせた「アケタオカリーナ」の創始者であり、「日本のオカリーナの父」と呼ばれている。長男はジャズ・ピアニストの明田川荘之。 ==来歴== *1909年、新潟県北魚沼郡藪神村(後・広神村→現・魚沼市)に誕生。 *1927年、日本大学中学校(現・日本大学第一中学校・高等学校)を卒業。 *1928年、東京美術学校(現・東京藝術大学)彫刻科塑造部に入学し、在学中よりオカリーナの研究・制作を開始。 *1933年、東京美術学校(現・東京藝術大学)卒業。 *1934年、国展にて国画奨学賞を受賞。 *1935年、新興美術家協会展に入選。 *1936年、新興美術家協会展にて新作家賞を受賞し、会友に推薦される。国画会彫刻部有志と造型彫刻家協会を結成。 *1937年、国画会同人に推薦される。 *1939年、国画会を脱会し、本郷新、山内壮夫、吉田芳夫、舟越保武、佐藤忠良、柳原義達とともに新制作派協会(現・新制作協会)彫刻部の創設に参加。 *1948年、「12穴式オカリーナ」を完成。 *1950年、「12穴式オカリーナ」実用新案を取得。 *1953年、オカリーナの試作により、東京都知事賞を受賞。 *1958年、病のため東京都新宿区の病院にて死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「明田川孝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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