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明石 緑郎(あかし ろくろう、1899年9月15日 - 1934年〔『芸能人物事典 明治大正昭和』、日外アソシエーツ、1998年、「明石緑郎」の項。〕〔『無声映画俳優名鑑』、無声映画鑑賞会編、マツダ映画社監修、アーバン・コネクションズ、2005年、p.126。〕)は、日本の俳優である。本名は田中 鶴雄(たなか つるお)である〔〔。 == 人物・来歴 == 1899年(明治32年)9月15日、東京府東京市(現在の東京都)に「田中鶴雄」として生まれる〔〔。 1917年(大正6年)、17歳のときに新派の村田正雄門下となり、女形として舞台に上がる〔。その後、大阪に移り、連鎖劇で知られる新派の山崎長之輔〔山崎長之輔 、『講談社 日本人名大辞典』、講談社、コトバンク、2009年11月9日閲覧。〕の一座に参加する〔。やがて伊川八郎の一座「国精劇」の幹部俳優となる〔。1924年(大正13年)8月23日、山崎長之輔が死去〔、1925年(大正14年)、師の村田正雄が死去している〔村田正雄 、『美術人名辞典』、思文閣、コトバンク、2009年11月9日閲覧。〕。 同年、帝国キネマ演芸芦屋撮影所に入社〔、女形から剣戟俳優へに転身する。スクリーンデビューは同年10月1日公開の古海卓二監督の市川百々之助主演作『牛若丸』と、その併映作で明石が主演を張った長尾史録監督の『乱弾下の恋』である〔。同年、松本英一監督の『竜巻く嵐』に主演し、市川百々之助に比肩しうる人気俳優となる〔。佐藤樹一路監督の『四谷怪談』(1927年)で民谷伊右衛門、押本七之助監督の『天保水滸伝』(1931年)で平手酒造を演じ、風貌にマッチした虚無的な役柄を得意とし〔、女形で培った優美な剣戟が人気の源泉であった〔〔。 1934年(昭和9年)、満州巡業中に病気により死去した〔。満35歳没〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「明石緑郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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