|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 昔 : [むかし] 1. (adj-no,n-adv,n-t) olden days 2. former ・ 昔々 : [むかしむかし] 1. (n-t) long ago 2. "once upon a time" ・ 々 : [くりかえし] (n) repetition of kanji (sometimes voiced) ・ 桃 : [もも] 【名詞】 1. peach 2. prunus persica (tree)
昔々亭 桃太郎(せきせきてい ももたろう)は落語の名跡。当代は2代目(落語芸術協会のHP上では3代目)。 昔々亭桃太郎(山下喜久雄)は自称「二十四代目」と称していたが、近年の調査では過去にそれほど多い数はなく、当代桃太郎(柳澤尚心)を入れても『古今東西落語家事典』によれば5代目か6代目くらいではないかと言われている(尚、当代は亭号を昔昔亭とし落語芸術協会のHP上では3代目としている)。 このように、落語家の名跡の代数は概していい加減なものが多い。 == 先代の前の桃太郎 == *(亭号不明)桃太郎 - のちの2代目土橋亭里う馬。 *昔々亭桃太郎(1866年9月 - 1929年9月30日) - 落語家一家(父、兄、弟がいずれも麗々亭柳橋。それぞれ3代目、4代目、5代目)の二男(真ん中の子)として生まれる。当人も少年時代に落語家となり昔々亭桃太郎を名乗ったが、兄と弟ばかり褒められて自分はけなされるのに嫌気がさし、講談に転じた。一龍斎貞宗、一龍斎一仙、桃川若燕を経て2代目桃川如燕となり、講談界のトップに立った(講談組合頭取)。本名は斉藤 嘉吉。 *昔々亭桃太郎(1940年7月 - 1961年1月) - 最初は初代三遊亭萬橘門下で萬治、その後4代目麗々亭柳橋門下で桃太郎となり、4代目橘家圓喬門下で花喬となった。のちに自害。本名は宇川 善美。 *昔々亭桃太郎(1857年8月9日 - 1942年5月20日) - 横浜の版木屋から天狗連出身で、明治30年代に2代目三遊亭圓橘門下で千橘を名乗る(その前に初代三遊亭萬橘門下で萬福とも)。1907年から1912年にかけて三遊派に属し、その後、昔々亭桃太郎を名乗った。大正中期には「睦会」に席を置き、横浜、東海道地区で活躍。柳家小きん(本名:山下 喜久雄=次項を参照)に桃太郎の名を譲る。甥に春風亭小柳三(本名:西宮吉之助)。本名は木村 兼次郎(墓は横浜市神奈川区東神奈川にある金蔵院)。 *上方における桃太郎 - 桂桃太郎の項を参照。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「昔々亭桃太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|