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星甲祐二 : ミニ英和和英辞書
星甲祐二[ほしかぶと]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほし]
 【名詞】 1. star 
: [に]
  1. (num) two 

星甲祐二 ( リダイレクト:星岩涛祐二 ) : ウィキペディア日本語版
星岩涛祐二[ほしいわと ゆうじ]
星岩涛 祐二(ほしいわと ゆうじ、1955年7月25日 - )は、鹿児島県揖宿郡開聞町出身で陸奥部屋(入門時は井筒部屋)に所属した元大相撲力士
本名は野口 祐二(のぐち ゆうじ)。現役時代の体格は身長182cm、体重138kg。得意手は左四つ、上手投げ蹴手繰り。趣味は野球観戦。最高位は東前頭14枚目(1989年7月場所)。愛称は「イワトナルド」(後述)。
== 来歴 ==
中学時代は野球部に所属。4番打者を務めるなど活躍し、高校も推薦入学を勧められていた。しかし、知人の紹介で井筒親方(元前頭2・鶴ヶ嶺)を紹介され、中学3年生の時に井筒部屋へ入門。1970年5月場所にて、14歳で初土俵を踏んだ。
小兵だったが着実に番付を上げ、入門2年目には後の師匠となる星甲が一時期名乗ってた四股名の星兜の名をもらい早くから将来を嘱望された。その後、1972年3月に井筒親方が亡くなり、元前頭4・星甲陸奥親方が井筒部屋を継承。だが、井筒は1974年7月に陸奥を再襲名し、それに伴って所属部屋の名称も陸奥部屋に変わった(これにより空き名跡となった井筒は、高砂一門の元横綱・北の富士が取得。彼は、それから間もなく、九重部屋から独立して新・井筒部屋を創設した)。幕下に昇進後は体重がなかなか増えずに苦労し、上位に番付を上げるまで時間が掛かった。
初土俵から11年半をかけて、1981年11月場所で漸く新十両に昇進。だが、負け越しに終わり、1場所で幕下に陥落してしまった。1983年11月場所で再十両、この時に師匠と字も一緒の星甲の四股名をもらっている。しかしここでも勝ち越しはあったものの定着しきれず4場所で幕下へ陥落し四股名も星岩涛に改名している。以後暫くは幕下に在ったが、1986年からは十両に定着。しかし、十両上位での番付運の悪さもあり、なかなか幕内に上がれなかった。その後、師匠・陸奥親方の定年が近付くと奮起。十両21場所目となった1989年5月場所では自己最高位の十両2枚目で9勝6敗と3点勝ち越し、初土俵から所要115場所、新十両からの所要46場所は歴代二位の超スロー出世で翌場所、33歳で悲願の新入幕を果たした。
左四つ相撲が得意で、右前褌を取ると力を発揮し期待されたが、新入幕の場所では4勝11敗と大負けして1場所で十両に陥落。それ以降も返り入幕を目指して相撲を取り続けていたが、師匠が停年を迎えた1991年1月場所後に35歳で引退し、陸奥部屋を継承した。
親方としては、先代からの弟子であったアルゼンチン出身の星誕期星安出寿をはじめとした面々を指導し、後に2人を十両に昇進させた。しかし、部屋の勢力は次第に衰退してき、一時的ではあるが部屋の所属力士がアルゼンチン出身の関取経験者2名だけという状況を招いてしまった。1997年11月場所後に元大関霧島勝ノ浦親方に陸奥の名跡と部屋を譲る事となり、同年12月限りで日本相撲協会を退職した。
現在は鹿児島市内で、飲食店を経営している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「星岩涛祐二」の詳細全文を読む




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