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星甲 良夫(ほしかぶと よしお、1926年2月5日-2000年12月5日)は、千葉県東葛飾郡浦安町(現・浦安市)当代島出身で、井筒部屋(一時期、双葉山道場預かり)に所属した大相撲力士である。最高位は西前頭4枚目(1957年5月場所)。得意手は右四つ、突っ張り、寄り。現役時代の体格は171cm、107kg。本名は、小川 良夫(おがわ よしお)。 == 来歴・人物 == 体が小さく、なかなか新弟子検査に合格できなかったが、1942年(昭和17年)5月場所で初土俵を踏んだ。そのため出世もゆっくりで、1955年(昭和30年)5月場所に於いて新入幕を果たした時には、既に29歳となっていた。 幕内では地味ではあったが、稽古で鍛えたためか、「努力の人」と讃えられた。 自己最高位の西前頭4枚目で迎えた1957年(昭和32年)5月場所では、大関・松登を蹴手繰りで破っている(これが、自身唯一の銀星となった。なお、金星は、1個も挙げられずに終わっている)。 以後も長く土俵を務め、1963年(昭和38年)1月場所では36歳11ヵ月での再入幕を果たした。これは、当時では戦後2位の年長再入幕記録であった。1964年(昭和39年)5月場所限りで引退を決意した時には、38歳となっていた。 引退後は、年寄・君ヶ濱から陸奥を襲名して井筒部屋付きの親方として後進の指導に当たっていた。しかし、1972年(昭和47年)3月に10代井筒(元前頭2・鶴ヶ嶺(道芳))が亡くなると、翌月に11代井筒を襲名して井筒部屋を継承した。これに伴い、10代井筒の弟弟子で同じ部屋付き親方であった君ヶ濱親方(元関脇・鶴ヶ嶺(昭男))は独立して、同月末に君ヶ濱部屋を興した。 その後1974年(昭和49年)4月、井筒の名跡を返上して陸奥に戻り、部屋の名称も陸奥部屋とした。10代井筒から引き継いだ弟子の星岩涛を幕内まで昇進させ、自らの停年退職の際には、彼に部屋を継承させた。 2000年(平成12年)12月5日午後1時20分、呼吸不全のため逝去。74歳没。 幕下時代に結婚したが家計が苦しく、髷を手拭で隠しながらアサリやシジミを売り歩いて生活費を稼いでいた話が知られている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「星甲良夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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