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星野光正 : ミニ英和和英辞書
星野光正[ほしの みつまさ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほし]
 【名詞】 1. star 
: [の]
 【名詞】 1. field 
: [ひかり]
 【名詞】 1. light 
: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 

星野光正 : ウィキペディア日本語版
星野光正[ほしの みつまさ]
星野 光正 (ほしの みつまさ、1977年6月18日 - )は、日本大阪府松原市出身のダーツプレイヤーである。173cm、AB型。ニックネームはみっちゃん炎の皇帝など。ホームショップは大阪府のCross。ダーツプロツアーのPERFECT男子の年間優勝回数と総優勝回数、年間勝利数の記録保持者(2013年3月現在)である。また2008、2009、2010、2011各年度のDARTSLIVEプロにも認定されており、こちらの認定回数も歴代最多となっている。
== 経歴 ==
2004年に妻と離婚し、落ち込んでいた頃偶然にダーツと出会う。プロになる決意も、自分を救ったダーツへの感謝からと話し、「子供の将来なりたい夢に、プロ野球選手やプロサッカー選手の様に『プロダーツ選手』って言われる位にしたい」とも語っている〔「ダーツは矛盾だらけのスポーツ」 『Sports Graphic Number』2009年4月16日号、文藝春秋、2009年、雑誌26853-4/16、84-87頁。〕。
ダーツのプロツアー開催以前からアマチュアのツアーであるPHOENIX CIRCUITで年間総合1位を獲得したり、日本最強地区を決める団体戦の砦では大阪地区として出場して1レッグ勝負の勝ち抜き戦で24人抜きという記録を作ってチームを優勝に導くなど活躍しており、プロツアーのPERFECTに開催初年度の2007年より参戦する。2007年のPERFECTでは開幕戦の千葉大会からいきなり優勝して、さらに第3戦と第4戦で2連勝、第9戦から最終戦まで3連勝など、最終的には11戦7勝と圧倒的な強さを見せ、他の選手が200ポイントにも届かない中で400近いポイントを獲得し、2位の山田勇樹に240ポイントもの大差をつけて、PERFECTの初代チャンピオンに輝いた。
Bull's Starに所属していたが、2008年1月31日をもってBull's Starを退職。同年4月1日、「Rock Star Direct(ロックスターダイレクト)」というダーツプレーヤーマネジメントプロジェクトを立ち上げたことを自身のMixi内日記にて発表した。同年のPERFECTでは2年連続で開幕戦から優勝するとそのまま3連勝してリードを築き、第10戦から最終戦まで再び3連勝するなど、最終的には12戦7勝とまたも圧倒的な強さを見せて、2連覇を達成する。また、DARTSLIVE JAPAN TOURNAMENT'07-08にも参加しており、3月に行われた決勝トーナメントSUPER DARTSでは1レッグも落とすことなく、全試合ストレート勝ちでの優勝を成し遂げた。また、同月下旬には第2回日本ソフトダーツ選手権にも参加して、決勝で橋本守容を破り、優勝している。
2009年のPERFECTでは開幕から未勝利が続き、山田、江口祐司らにリードを許す。中盤の第6,8,9戦で3勝をあげて総合優勝争いに復帰したが、終盤で再び失速して総合3位に終わる。また、前年に続いてSOFT DARTS JAPAN TOURNAMENT '08〔DARTSLIVE JAPAN TOURNAMENTがSOFT DARTS JAPAN TOURNAMENTに名称変更され、年号の付け方も変更された。〕にも参戦しており、4月に行われた決勝トーナメントSUPER DARTSでは山田らを破り、2連覇を達成した。
2010年1月、Rock Star DirectをCross Dart Divisionとしてリニューアルしたことを発表した。同年のPERFECTでは序盤は毎回優勝者が入れ替わる混戦の展開の中、ベスト8以内を維持しつつ、第6戦で勝利をあげて優勝争いに食い込む。前年に続き、山田、江口らにリードを許すが、第12戦で山田、江口が揃って上位進出を逃したところを優勝して、最終戦での逆転優勝の望みを繋げる。1位の江口に23ポイント差の3位で迎えた最終戦はベスト4で江口と直接対決してこれを制し、さらに決勝でも小野恵太を破って優勝し、それにより江口を僅かに3ポイント上回って2年ぶり3度めの総合優勝を果たした。また、PDC CHALLENGE TOURNAMENTにも参加して決勝戦まで進んだが、決勝戦で橋本守容に敗れ、惜しくもPDCワールド・ダーツ・チャンピオンシップの出場権獲得はならなかった。
2011年はツアーが東日本大震災の影響を大きく受ける中で行われた〔第2戦の宮城大会の前日に震災があり、前日入りしていたプレイヤーなど多くの関係者が被災し、震災を受けた第2戦の宮城、第4戦に予定されていた札幌、第12戦に予定されていた福島の3戦が中止となった。〕。前年に続き、毎回のように優勝者が入れ替わり、全12戦で優勝者が10人も出るという大混戦の展開の中、同年では唯一の複数回優勝をあげて、2度目の2連覇を達成した。3月には第7回ADA台湾大会に日本代表選手のキャプテンとして出場した。チーム戦では各国4人1組で出場するガロン戦で優勝、ダブルスで準優勝、国別対抗戦で3位タイ。個人戦ではシングルスクリケットメドレーで3位タイ、シングルス01メドレーでベスト8などと活躍した。同年はダーツライブ主催のTHE WORLDにも1戦のみ出場して、ベスト4に進出するなどの活躍を見せて、THE WORLDのGRAND FINALへの出場権も得た。しかし、GRAND FINALには出場していない。また、同大会では701において14ダート・フィニッシュを達成している。
2012年3月、第8回ADA香港大会に日本代表選手のキャプテンとして2年連続で出場した。チーム戦では国別対抗戦で3位タイ、ダブルスで準優勝、トリオスで優勝。個人戦ではシングルスメドレーで準優勝、シングルスクリケットメドレーでベスト8、シングルス01メドレーでベスト8と活躍してMVPに輝いた。同年のPERFECTでは序盤は上位に上がれず、後半は準々決勝に進出する活躍を見せたものの、表彰台に上がることはかなわず、総合も6位に終わった。また、THE WORLDにも予選に4度出場し、3回の準々決勝進出や14ダート・フィニッシュ、SHOOT OUT最高得点などの活躍を見せ、GRAND FINALに出場し、ラスト64まで到達した。
2013年はPERFECT第三戦まで出場した後、株式会社ダーツライブ主催のプロトーナメントであるJAPANへ移籍。JAPAN第5戦で初のJAPAN16入りを果たす。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「星野光正」の詳細全文を読む




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