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春山 行夫(はるやま ゆきお、1902年7月1日 - 1994年10月10日)は、日本の詩人、随筆家、編集者。本名は市橋 渉。 == 来歴 == 1902年、名古屋市東区主税町に生まれる。家は外国向けの陶器にバラの花や風車を描く工場(アトリエ)だった。1917年、名古屋市立商業学校中退〔日外アソシエーツ現代人物情報より〕。 郷里で詩と絵画の運動を起こし、1922年詩誌「青騎士」(井口蕉花、山中散生、近藤東、棚夏針手、佐藤一英などが参加)を創刊した。1924年に第一詩集「月の出る町」を発表し、その年の暮れに上京した。象徴主義の影響が色濃かったが、その後はしだいに同時代の海外の前衛詩、モダニズムの影響を受けたスタイルに移っていった。1926年に近藤東らと「謝肉祭」を創刊、以後「詩と詩論」(28年)、「詩法」、「新領土」などで最先端のモダニズム詩人として活動した。1929年発表の詩集「植物の断面」はその傾向の結実で、集中の「白い少女」はモダニズム表現の「記念的実験作品」(安西冬衛)と評された。 この間、厚生閣の季刊雑誌誌「詩と詩論」(のち「文学」に改題)、第一書房の雑誌「セルパン」などでは編集者としても活動し、ヨーロッパの最新美術や超現実主義の紹介にも力を入れた。日本の初期現代詩運動の中心人物、オーガナイザーとして大きな影響を与えた。 戦後は『雄鶏通信』(雄鶏社)を創刊し、文筆のみで生活するが、詩作からは離れ、多方面にわたる知識・教養を駆使するエンサイクロペディストとして、多数の著書を出版した。また、ラジオ番組話の泉にも出演。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「春山行夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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